クロユリハゼの休日

やま とり うた みる きく よむ うみ など

#257 コゲラの巣作り(その2)

昨年の夏の終わり、右眼が網膜静脈閉塞症という病気になった。網膜静脈に血栓ができた影響で網膜がむくんでしまい、症状としては画像が歪んでしまう。こんな感じ。↓f:id:kuroyurihaze:20240315233825j:image

眼球に注射を打つために生まれて初めて手術室に入ったのが去年の9月。手術そのものは注射をするだけなので10分ほどで終わった。

効き目は徐々に現れたものの、未だ網膜のむくみは残っている。網膜の視神経というのは正常ならば完璧にきれいに整列しているという。わずかのむくみでも画像は乱れてしまうのだ、

…生命の精妙さよ!

…とはいえ、普段は両目を使っているので左目がかなりカバーして補正をしている。クルマの運転もほぼ支障はない。

困るのは、カメラのファインダーを覗くとき。効き目の右眼の画像が歪んでいるのでピンボケでしか見えない。左目でファインダーを覗こうとしても、無理無理。そもそもカメラのシャッターボタンは右手の指で押す場所にある。左眼が効き目の人はどうしてるんだろう?僕のデジカメは液晶モニターが付いているが、バードウォッチングで鳥の撮影をする時はファインダーの画像(これも液晶)を見てカメラを構えた方が撮影しやすいので困ってしまう。

 

昨日、念の為デジカメを携えて錦織公園でバードウォッチング。まもなく頭上で「コツ、コツ」と木を突く音。コゲラだ。双眼鏡で確認してから、ピンボケファインダーを覗きながら撮影してモニターで確認。f:id:kuroyurihaze:20240316002228j:image

角度を変えて見ると、どうやら巣作りに着手したばかりのコゲラf:id:kuroyurihaze:20240316002417j:imageみるみる丸い巣の入り口が出来てきた。春だなあ…。

 

コゲラが巣作りをしている場所から少し離れた所に、数年前シジュウカラが営巣していた石垣がある。↓f:id:kuroyurihaze:20240316003410j:imageその時は石垣の隙間からヒナ達が大口を開いて盛んに鳴いていて、親鳥♂♀が交互にノンストップ、すごい頻度で虫を取ってきてヒナ達に与えていた。二、三日後だったろうか、もう一度この場所に到着したのが、ヒナ達が巣立ちしたばかりの瞬間だった。親鳥と巣立ちビナの賑やかな鳴き声(お母さんは「こっちに来なさい!」巣立ちビナは「待って、待ってー」)、シャクナゲの枝から枝へとぎこちなくジグザグに飛びながら伝う巣立ちビナの姿に興奮した。

 

バードウォッチングの楽しさは、石垣の隙間やシャクナゲの枝やコゲラの巣穴などの場所やモノが、ひとつひとつ鳥達の思い出と結びつくことだと思う。シジュウカラの巣立ちビナが伝っていたシャクナゲf:id:kuroyurihaze:20240316004954j:image

錦織公園の中だけでも鳥達と結びついた思い出の場所がたくさんある。自分のフィールドに季節ごとにいろんな印が増えていくような感じ。

昨日は二時間余り公園内を巡って、最後に、あのコゲラが巣作りしていた木の様子を見に行った。コゲラはコツコツと木を突き続けて巣穴を作っていた。

二時間余り、休憩なしなんだろうか。

果たしてこの巣穴で営巣するのか、それとも、巣穴としては放棄されるのか、日を改めて確認してみよう。

 

コゲラの巣作り〟2年前の記事が〝その1〟になります。↓

https://kuroyurihaze.hatenablog.com/entry/2022/04/15/232742

 

# 256 〝たまのののののちゃん〟

朝刊を開いてまず見るのが四コマ漫画ののちゃん〟。

ずっと四コマ漫画はスルーしていたのだが、1年ほど前に〝ののちゃん〟の凄さに気づいてからは、いの一番に〝ののちゃん〟だ。

最小限の描線で背景のパーツを構成して空間をつくるセンス、登場人物の表情とセリフの漫才のような掛け合いの絶妙さ、新聞発売日は年中無休でアイデアをを繰り出す継続力、などなど感心することばかり…。

地元の図書館の蔵書検索で著者〝いしいひさいち〟を検索すると、なんと一冊もヒットせず。…そうなのか、残念。

Amazonで〝いしいひさいち〟を検索すると気になる本が3月に発売されていたので購入してみた。

〝たまのののののちゃん〟という岡山で出版された本。f:id:kuroyurihaze:20240309162857j:image

大学生の時の友達が玉野市出身で、いしいひさいちのことを誇らしげに語っていた。…なので、いしいひさいち氏が岡山県玉野市出身ということは知っていた。

この本のメインは〝広報たまの〟に連載されていた〝たまのののののちゃん〟で、作者いしいひさいち氏は「朝日新聞ののちゃんとの重複はありません。」と…。登場人物は朝日新聞ののちゃん〟と同じなのだが、セリフが岡山弁(玉野弁?)だったり、玉野の地元ネタだったりローカル色が強い。

本を買ってしばらくは〝たまの の ののちゃん〟と読んでいたのだが、よく見ると〝たまのの の ののちゃん〟だった。玉野市のパロディ、〝たまのの市〟ということらしい。

この本を読んでからのち、朝日新聞ののちゃん〟を見ると、ちょっとよそよそしい感じがする。

岡山弁(玉野弁?)の〝ののちゃん〟で、作者いしいひさいち氏に一歩お近づきになれた気がするのだった。

〝広報たまの〟の連載は続いているのだろうか。f:id:kuroyurihaze:20240309162905j:image

 

# 255 〝山道〟

〝断捨離〟という言葉は、どこか薄っぺらい響きがして好きではない。

…それはともかく、

思い立って物置き部屋を整理していると、覚えのない〝資料〟がいろいろ出てきた。その中のひとつ。

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小学校の卒業記念品。スクラップブックだ。

最終ページに担任の先生のかなり長文のメッセージがあった。初めて読んだかも…。

パラパラめくると、作文が書かれた原稿用紙やスケッチ、切り絵、読書記録、修学旅行の写真が挟まったり貼られたりしていた。

その中に、岩湧山に登った時の作文(6年生)があった。

  ………………………………………………………

 〝山道〟    6年2組  〇〇 〇

 岩湧山の 帰りの道は、今までになく「山道だなあ。」と思わされた。

 まわりの木を 見上げると きちんと 背の高さが そろい 枝は、自然に 動き 枝の上には、太陽が 小さな玉に 散らばって光っていた。

 道は うぐいす色に 反射して 土の中から 小さな木が 生まれて くるかと 思われるほど 神秘的である。

 この景色を 色にたとえれば、しぶみのある緑色というところである。そしてそこに まぶしい白がところどころ 浮いているのだ。

 山の空気を おもいっきり吸うと むねの中の なにか ひっかかるものが 消え去っていくようで 思いっきり 走りたくなる。

 こんな山道が うらやましい。

  ………………………………………………………

岩湧山に小学校の時に登っていたとは。遠足だろうか。作文も全く記憶がなかったので新鮮。f:id:kuroyurihaze:20240223140654j:image

 

↓ 友達の顔だろうか。

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# 254 世界のオザワ

小澤征爾さんが亡くなった。

指揮者の山田和樹がTVや新聞のインタビューを受けてコメントを寄せていた。 

「指揮は、自分の呼吸がオーケストラに伝わることが大事。(小澤さんの指揮は)いかに共感を産み、息づかいとかイマジネーション、同じ一つの呼吸を全員が共有できるかに収斂されていたと思う。」

「一人一人の極限の力を引き出す才能、動物的才能がすごかった。」

「あれだけのパワー、エネルギーを出し続けた人だから、お疲れさま、ゆっくりして。」

「…だけれども、願わくば、亡くなってからも我々を叱咤激励し続けてほしい。」

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その日、読売日本交響楽団の演奏会だった山田和樹。プログラムの前半を終えた休憩時間に訃報を伝えられたという。

「悲しみの中で演奏会をするのは先生の望みではない。音楽は楽しいものとして、共有したい。黙禱はしない」「本日の演奏を先生に捧げさせて頂きたいと思う。」

 

 

今日、その山田和樹指揮の読売日本交響楽団、大阪定期演奏会に行ってきた。(フェスティバルホール

シュトラウス交響詩 ドン・ファン

ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」

・フランク「交響曲 二短調

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山田和樹の指揮は観客にとっても情報量がとても多い。曲想の変容、各楽器の役割、ダイナミクス、緩急の変化などなど、スコアに書かれていることを指揮者がどのように掴もうとしているかが客席から見える指揮。指揮者の呼吸とオーケストラの呼吸が協応し合うさまが見えるという点で、小澤征爾の指揮と通ずる気がする。

 

山田和樹小澤征爾と同じくブザンソン指揮者コンクールに優勝した。その時、僕は〝オザワ〟の再来を〝ヤマダ〟に夢想した。とんだばやし混声合唱団が山田和樹の指揮で東京混声合唱団と共演したのは、彼がブザンソンで優勝する以前のこと。その後の彼が欧米の名門オーケストラで次々とデビューしていく姿を〝世界のオザワ〟のストーリーに重ねて〝推し〟ていくことになる。

 

再び小澤征爾。半世紀もの間に、〝ボクの音楽武者修行〟を読み、TV〝オーケストラがやってきた〟や〝サイトウ・キネン・オーケストラ〟などの音楽番組を観て小澤征爾と同時代を生きてきた。コンサートにも、三度だけではあるが足を運び実演に接してきた。小澤征爾の指揮は映像の記憶として残っていくと思う。

 

※僕が接した小澤征爾指揮の演奏会。

:メイン曲。

①大阪フィル

チャイコフスキー 交響曲第5番

大フィルが燃えに燃えた。30年以上前。これ以降大フィルに客演していない。

 

ボストン交響楽団

バルトーク 管弦楽のための協奏曲

こういう曲を小澤征爾で聴きたかった。カッコよかった。

 

ボストン交響楽団

マーラー 交響曲第2番〝復活〟

少し精彩さを欠いていた印象。声楽を含むこんな大曲も暗譜で振る小澤さん。きっとドイツ語の歌詞も全部頭に入ってるんだろうな。(!)

 

# 253 バビ・ヤール

〝バビ・ヤール〟はウクライナ、キーウ近郊の地名。ナチス・ドイツユダヤ人虐殺を行った場所だそう(当時はソ連領)。この地を訪れたソ連の詩人が〝全ての反ユダヤ主義者〟を告発する詩を発表した。感激したショスタコーヴィチはその詩を用いて交響曲第13番を創作した。

 

ややこしいのは、〝全ての反ユダヤ主義者〟の中にソ連政府が含まれていることで、つまり、この交響曲は体制批判の意味合いを持つということである。

 

全5楽章からなる交響曲は、すべての楽章でバス独唱と男声合唱が〝バビ・ヤール〟を含む五つの詩を歌い継いでいく。特徴的なのは男声合唱が全てユニゾンで歌われること。ショスタコーヴィチは体制批判を表現するために骨太の男声を採用したのだろうか。書道のように、そして太筆で墨書するかのように、音楽は進んでいった。

 

昨日、井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会でこの〝バビ・ヤール〟の演奏を聴いた。井上道義は今年いっぱいで指揮者を引退すると表明。井上道義の大フィル定期での演奏は今回が最後になる。

 

特筆すべきは、男声合唱に世界最高峰の男声合唱団といわれるスウェーデンの〝オルフェイ・ドレンガー〟を招いていたこと。(総勢60名!)(随分前に〝オルフェイ・ドレンガー〟の来日公演を聴きに行ったことがある。)

巨体から人間離れしたパワーで朗々と歌うロシア人バス歌手と共に最高の布陣での〝バビ・ヤール〟だった。

 

これだけの布陣を敷くには移動・滞在費用も尋常でないはず。声楽陣は井上道義の意向であることは間違いない。彼ほどの指揮者になると〝バビ・ヤール〟演奏のためだけにスウェーデンから〝ドルフェン・ドレンガー〟を呼べるんだ…と、感心してしまった。(後でわかったことだが、井上道義は大フィル定期の前に東京でN響と同じプログラム、同じ布陣で演奏会を開いていた。二つの楽団と各種助成金で費用を賄ったと思われる。)指揮者はプロデューサーでもある、…まざまざと感じた。

 

演奏されることの稀なショスタコーヴィチの〝バビ・ヤール〟。ショスタコーヴィチ演奏に定評のある井上道義の指揮による〝バビ・ヤール〟。

 

忘れられない演奏会になりそうだ。

 

因みに、

ウクライナパレスチナで進行中の悲劇とタイミングを合わせたようなプログラムだが、今回の演奏会の企画はウクライナ戦争勃発より前、数年前から動き出していたとのこと。

 

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# 252 君たちはどう生きるか

【うた詠み】

まどろみは枕の底に沈みたり夢のあとさき掴む能わず

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5、6年前だろうか、放課後デイサービスの高校生が「これ、おもしろいで。」と一冊の本を見せてくれた。↓

f:id:kuroyurihaze:20231210204814j:image吉野源三郎著〝君たちはどう生きるか

「えっ、吉野源三郎の?」

子どもの頃、読んだ覚えがあるが随分昔の著作のはず。何故に今?

ほどなく、漫画本として出版されて若者によく読まれていると知った。しばらくして僕も読んでみた。〝コペルくん〟を懐かしく思い出した。やはりあの〝君たちはどう生きるか〟だったが、どうして今、若者たちが共感するのかよくわからなかった。戦前の旧制高校教養主義みたいなものが色濃く出ていて、そこが新鮮に受け取られたのだろうか。少年の悩みに応える〝先生〟が羅針盤のように行き先を示唆すること、そんな〝先生〟のような大人への憧れもあるのだろうか。

 

そして今年、またしても〝君たちはどう生きるか〟、である。↓

f:id:kuroyurihaze:20231210210427j:image宮崎駿監督作品。教養主義的なタイトルとどうとり結んだ映画なのか、ひと月ほど前に観てきた。タイトルは吉野源三郎の著作そのものから来ていることは映画の中で確認できる。亡き母から少年へ贈られた本として登場し、少年が涙ながらに読むシーンが一つの断片として描かれる。

この映画、宮崎監督の人生の中の夢の断片の集積のような作品。夢といっても、まどろみの中で辛うじて掴み取った妄想のような記憶のような断片ばかりだが、人は誰もがまどろみの中の夢の断片のようなもので人生を支えられているような気もする。

映画は〝あの世〟と〝この世〟を少年が往還する物語。〝あの世〟は宮崎監督がまどろみの中で掴んだ断片が散りばめられている。〝この世〟のリアルはアオサギの姿で象徴されるが、まもなくアオサギは変奏を繰り返して物語の舞台まわしとして扱われる。

〝あの世〟は、死後の世界であり、生前の世界でもあり、いのちの原形が時間を超越して〝あの世〟の内側で自由に往還する。亡き母は少女として少年の前に現れ、しかも母として振る舞う。また、母の妹である義母はいのちを授かって妊婦となるのだが、いのちを保ったまま〝あの世〟へ里帰りのような形で出かけていく。少年は義母を〝この世〟へ戻す〝使命感〟をなんだかわからないままにも正しい行いと信じて〝あの世〟への冒険に突入する。

〝あの世〟〝この世〟とは、僕の捉え方だが、宮崎監督の中には仏教的な輪廻の思想があるように感じる。ただし、〝あの世〟は極楽ではなく、もっと不安定で混沌としていて、実際に最後は〝将軍〟(これもアオサギと同様に鳥、オウムの化身)によって崩壊させられる。〝この世〟と〝あの世〟の出入口は無数にあり、少年の開けるべき出入口は、亡き母(少女)によって導かれ、少年は〝いのち〟を抱えた義母を〝この世〟へと連れ帰って物語は終わる。(亡き母にも開けるべき出入口がありその扉から去っていく。それはまた別の世界なのか?)

 

吉野源三郎君たちはどう生きるか〟と直接関連する場面としては、戦争で疎開し転校した学校で〝いじめ〟にあうところか。少年が自傷したり、父が軍需工場で儲けたり、矛盾を提示するところが関係しているかもしれない。

 

 

 

冒頭の【うた詠み】

まどろみは枕の底に沈みたり夢のあとさき掴む能わず

 

短歌としてはいささか自信はないが、まどろみの中に現れる不可解なストーリーや設定の夢の断片を集めれば、自分なりの〝君たちはどう生きるか〟ができるような気もする。

 

 

 

 

 

# 251 ウォークラリー

先日、鈴鹿山系、鎌ヶ岳に登った。以前、入道ヶ岳から見た鎌ヶ岳は北アルプスの槍ケ岳のようでカッコよかった。武平トンネル(三重県側)に駐車して武平峠から稜線を歩く最短コース。強風注意報が発令されていて、稜線では滋賀県側からの風が強くコンディションは悪かった。

f:id:kuroyurihaze:20231128110330j:image山頂直下の岩場は滋賀県側を巻いて山頂へ。御在所岳や雨乞岳、四日市方面、伊勢湾が見渡せて展望を楽しめた。一般コースだが、思いのほか足場が悪い箇所があり少し緊張した。

最短コースをとったので正午には下山、小雨模様だがせっかくなので湯ノ山温泉で日帰り入浴することに。鈴鹿スカイライン沿いにある〝希望荘〟で温泉に浸かった。f:id:kuroyurihaze:20231128112238j:image

〝希望荘〟は40年近く前に勤務していた中学校の宿泊行事で利用した思い出の宿舎。今思うとなかなかアクティブな内容で、メインは二日目、先輩教師が企画した御在所岳登山(裏道から山頂、下山はロープウェイ)で、初日は希望荘で昼食をとった後に山麓を巡るウォークラリーの企画を僕が担当した。

ウォークラリーは、各グループがコース上に何箇所か設けられたチェックポイントでクイズに答え、設定されたペースにできるだけ近い速度で歩く。非公表の設定タイムに近いほど得点が高く、クイズの得点との総合点を競うもの。既存のウォークラリーのコースがあるわけでなく、〝希望荘〟を起点にしたハイキングコースを利用した。そのため、コースの正確な距離を知る必要があったので、下見では〝希望荘〟のスタッフ(支配人?)の瀬古さんが地元の消防署から借りてくれた〝コロコロ測量計〟を使ってコースの総距離を測った。

さて、本番当日。担当の僕は先発してチェックポイントや道標を設置して希望荘に向かっていたのだが、後方から生徒達の声が聞こえてきた。

速すぎる!

設定ペースを無視し勝負を度外視したグループが迫ってきていたのだ。慌てて僕もスピードを上げて〝希望荘〟に到着してゴール係に早変わり。まもなく先頭グループがゴールした。勝負を度外視した数グループ、ゴールを急いだ理由があった。ウォークラリーをゴールしたグループから温泉入浴することにしていたので、ウォークラリーの成績より温泉入浴を優先したグループが現れたのだ。全くの想定外だった。一方で野いちごを食べながらのんびり歩くグループもあり、そんなこんなのウォークラリーは無事終了したのだった。f:id:kuroyurihaze:20231128120659j:image