クロユリハゼの休日

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# 195 朝比奈隆 没後20年

↑ 先日の夕刊にあった見出し。

そうかあ、もう20年……。f:id:kuroyurihaze:20211024224714j:image

2001年12月29日夜、大好きだった朝比奈さんが93才で亡くなった。大フィル恒例の「第九シンフォニーの夕べ」は29日30日の2回公演、朝比奈さんが指揮を振るはずだった。(代役の指揮は若杉弘さん。)

僕はチケットを買っていなかったが、朝比奈さんにお別れをするために急遽、30日の第九公演に駆けつけた。

そうだ! 

この夜、第九を聴きに来た人達は、朝比奈さんへのそれぞれの想いと感謝の気持ちを楽団員や他の聴衆と共有したいと思ったのだ。たとえ立ち見であっても…。朝比奈さんの冥福を祈るのに、年末恒例のベートーベンを聴く時間ほど相応しいものはない。

指揮の若杉弘さん、楽団員とフェスティバルホール客席全体で黙祷後、第九の演奏が始まった。演奏が始まってすぐ、若杉さんのベートーベンではないことがわかった。そのときの驚きと感動…。この夜の第九演奏は最初から最後まで朝比奈隆のベートーベンだった。若杉さんは朝比奈隆と大フィルの歴史に敬意を表し、大フィルの楽団員の血肉となった朝比奈ベートーベンに身を委ねていた。

↓ この演奏会の翌日の新聞切り抜き。f:id:kuroyurihaze:20211024232316j:image

翌年、音楽雑誌の追悼特集で岩野裕一氏は次のように書いている。少し長いが引用してみる。

「…この日、代役の若杉弘、楽団員、聴衆が、朝比奈に心からの黙祷を捧げたのち、演奏が始まったその瞬間から、私は溢れ出る涙を止めることができなかった。なぜなら、このときホールに鳴り響いていたのは、同じく若杉が指揮した前日(29日)の〈第九〉とはまったく違う、あの豪快で優しい空気に包まれた、朝比奈隆の音楽そのものであったからである。 おそらく朝比奈は、どうしてもこの2001年の〈第九〉を指揮したかったに違いない。そして、初日の演奏のさなかに、遠のく意識の中で、その翌日の舞台に立つことを決めたのではなかろうか。かくして、朝比奈の魂は肉体を離れ、聴衆と、そして楽団員たちとの約束を果たすために、40年以上通い慣れたフェスティバルホールへ、確かに来てくれたのだった。  私はこの日の大阪フィルの〈第九〉を終生忘れることはないだろう。」  ( 音楽現代 2002年2月号より)

同感である。f:id:kuroyurihaze:20211025003852j:image

朝比奈隆さんについては思い出が多い。没後20年を機会にまた振り返ってみたい。f:id:kuroyurihaze:20211024234158j:image