クロユリハゼの休日

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# 232 紀淡海峡

f:id:kuroyurihaze:20230503225647j:image海が見たくなって和歌山市の加太に行ってきた。

午前中に和泉山脈西端の高森山と四国山(森林公園)を山歩きして紀淡海峡を眺め、午後から友ヶ島沖ノ島)に連絡船で渡り島内の展望台(タカノス山)などを巡るプラン。

f:id:kuroyurihaze:20230503230101j:image森林公園には展望場所が数ヶ所あり、紀淡海峡はもとより淡路島の北、明石海峡大橋まで見え、南は淡路島の向こうに四国もうっすらと認められる。紀淡海峡は大阪湾の入り口で、友ヶ島が海峡の間にあることもよくわかる。f:id:kuroyurihaze:20230503230859j:image↑(休暇村加太の向こうに友ヶ島が浮かび、そのまた向こうに淡路島)

四国山から下山すると、森林公園の一角に立て看板。陸軍砲兵の墓地があるという。立ち寄ることはしなかったが、友ヶ島に砲台跡があることを思い出した。

友ヶ島沖ノ島)には砲台跡が何ヶ所かあるが、タカノス山展望台に近い第三砲台跡は中に立ち入ることができた。規模の大きな煉瓦造りの弾薬庫は数ヶ所に照明が置かれていて、現代アートのような不思議な空間を体験できる。(土木遺産に認定されている。)f:id:kuroyurihaze:20230503232804j:image
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f:id:kuroyurihaze:20230503232810j:imageこの島の砲兵は600人規模だったとのこと。詳しく調べた訳ではないが、砲台は友ヶ島を挟んで加太側と淡路島側にも数ヶ所設けられていたようで、全部合わせると相当数の砲兵が紀淡海峡で大阪湾の守りについていたようだ。まさに軍事上の要衝だったのだ。

実際には戦場になってはいないが、任務の途中で亡くなった砲兵のための墓地が加太に設けられていたことになる。

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f:id:kuroyurihaze:20230503233952j:image友ヶ島の展望台からの海を砲兵達も眺めていたのだろうなあ。


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島ではホオジロのさえずり。一生懸命生きている。