クロユリハゼの休日

やま とり うた みる きく よむ うみ など

# 290 Sherpa Steps(シェルパ階段)

シェルパ族はネパール東部、ヒマラヤ山脈の麓に暮らす民族で、ヒマラヤ登山においてルート工作やガイド、ポーターとして知られている。8000m級のヒマラヤ登山にとって欠かせない存在だ。

 

そのシェルパ族が、遠く離れた北欧ノルウェーで登山道の整備で活躍していることを知った。

 

そもそも、ネパールのトレッキングやハイキングの多くは、山岳地帯に点在する村々を結ぶ生活道を歩くことだ。彼らは山岳地域での生活の必要から長年にわたって自然石を使った階段を整備する技術を培ってきた。

今年2月、ネパールでのハイキングもそうした自然石で整備された生活道の長い長い階段に辟易した。しかし、そのおかげで大切な生活道は、侵食やぬかるみによる崩壊から守られていたのだ。f:id:kuroyurihaze:20260629192146j:image

 

どういう経緯でシェルパ族がノルウェーの登山道整備に携わることになったのかは知らない。彼らが様々な形・大きさの自然石を組み合わせて造った登山道をこの6月に歩いた。f:id:kuroyurihaze:20260629190932j:image

リーセ・フィヨルドの断崖にあるプレーケストーレン(説教壇)。ノルウェー随一と言われるハイキングコースは登山口から4㎞。最初の樹林帯からシェルパ階段が現れる。f:id:kuroyurihaze:20260629191034j:image途中、平らな湿地帯は木道が整備され、そこから岩山の急登もシェルパ階段が完備。f:id:kuroyurihaze:20260629191145j:imageその先の巨大な岩盤のルートにも随所にシェルパ階段があるので、ルート全体にぬかるみや侵食や危険な箇所は全くない。f:id:kuroyurihaze:20260629191255j:imagef:id:kuroyurihaze:20260629191357j:imagef:id:kuroyurihaze:20260629191452j:image

 

今回のノルウェー旅行で、もう一箇所、ソグネ・フィヨルド最奥のフロム村でもハイキングをした。村内の道から分岐してブレッケ滝に向かうハイキングコースもシェルパ階段が整備されている。観光案内所で貰ったハイキングマップにもSherpa built stone stairway と紹介されていた。f:id:kuroyurihaze:20260629191541j:imagef:id:kuroyurihaze:20260629191946j:image

こうしたシェルパ階段は、2000年代に入って、毎年のように春から秋にかけて造られているという。シェルパ族の技術者が数十人単位でノルウェーに滞在して、あちこちの登山道を整備し続けているらしい。(ネパールからの出稼ぎということかな。)

 

シェルパ族の技術者によって、登山道の環境保護と安全確保がすすむノルウェー。有名な観光スポットにもシェルパ階段ができているようだ。面白い現象だと思う。

 

# 289 二人のクマリ

先月、ネパール🇳🇵に行ってきた。

ハイキング主体の団体ツァーで、11名の参加者でポカラ周辺のヒマラヤ展望ハイクを楽しんだ。

旅程にはカトマンズとパタンの世界遺産観光も組まれていたが、実はあまり興味がなかった。旅行直前に旅程ガイドを確認すると、カトマンズ、パタンの両方とも〝クマリの館〟訪問とある。

クマリとは何ぞや? f:id:kuroyurihaze:20260214203711j:image

〝生き神として信仰されている初潮前の少女。〟

ネパールでは仏教とヒンドゥー教が共存というか仲良く両立しているらしく、世界遺産観光中、様々な神様が入り乱れていた。印象としては〝神様の混沌〟。

さらに生き神の少女クマリまでいるという。クマリはアンナプルナの生まれ変わりとも言われ、仏教の信仰の対象とのこと。

まず、カトマンズのクマリの館へ。

中庭があり、そこで現地ガイドさんが日本語であれこれ説明してくれる。カトマンズのクマリはロイヤル・クマリと呼ばれ、その他の地方のローカル・クマリとは別格の存在。ずっと館から出ることなく両親と離れて暮らし、地面を足で踏むことが許されない。つまり外出できない。現在のロイヤル・クマリは3歳というので驚いた。日に二回ほど三階の小窓から顔を出すというが会えるとは思っていなかった。f:id:kuroyurihaze:20260214202326j:image

…が、突然ひとりのおじさん(普通の格好なのではじめはスタッフとは思えなかった)が何やら大きな声を出し始めた。どうやらこれからクマリ様が現れる!中庭でがやがやしていた人々が静粛し、おじさんから写真を撮らないよう注意される。

そして小さな窓に、顔に鮮やかな化粧をした生き神の幼女が! 皆、「ナマステ🙏」と頭を下げてお祈りしてから拝顔すること十数秒(体感)でクマリ様はお隠れになった。クマリは表情を変えてはいけないらしいのだが、一瞬、3歳の幼女の口元が緩んだよう見え、少し心が震えた。日本なら幼児虐待、人権侵害とも考えられることが、ネパールでは生き神クマリとして現に存在していることに。f:id:kuroyurihaze:20260214202323j:image

↑この子は先代?のクマリ

最終日はパタンのクマリの館見学。
カトマンズと同じような館の中庭には野良犬が寝そべっている。f:id:kuroyurihaze:20260214202104j:image(ネパールではそこらじゅうに野良犬がいる。まるで一市民のように振る舞い、街中を自由に歩き、安心しきって寝そべっている。)

パタンのクマリはカトマンズよりかなり緩いらしい。ガイドさんが館の中で何やら交渉していると思ったら、館の中に入って良いと促される。薄暗い土間のような部屋から狭い階段の入り口で靴を脱ぎ二階へ。壁にクマリの写真などが飾ってある狭い部屋を通り抜けると、次の部屋がいきなりクマリ様の部屋だった。決して広いとは言えない部屋の祭壇に生き仏のクマリ様は仏像のように鎮座していた。パタンのクマリは11才。傍らに同年代と思われる少女が一人、友達だろうか。先ほどまでは授業?があったらしい。一緒に勉強?祭壇と反対の壁に向かって跪いて黙々とパソコンゲームをしている少年は弟?少女は去って、執事らしき大人の女性が入ってきた。今からクマリ様の〝幸福祈願=ティカ〟が始まる。どうして良いか分からず戸惑い立ち尽くす我々旅行者を前にクマリ様はにこりともしない。お布施をしてクマリ様の前で正座し、おでこを差し出すとクマリ様が指で赤い印をおでこにしてくれるらしい。お布施がいくらくらいか分からず、20ルピーをガイドさんに見せると小声で「少ない」と。100ルビーを見せると頷いてくれた。膝を痛めていて正座ができない僕は、両膝を立てた状態でお布施を置いておでこを差し出す。少し間があって、おでこに指が触る感触あり。ナマステ🙏

写真撮影不可と聞いていたが、ネット上に写真があった。参考までに、こんな感じ。↓f:id:kuroyurihaze:20260214210816j:image我々が退室するまでクマリ様は一言も発せず、表情も変えなかった。f:id:kuroyurihaze:20260214211016j:image

この方でした。

 

※ポカラ サランコットの丘からマチャプチャレ(6993m)をのぞむ。右後方はアンナプルナ3峰(7555m)f:id:kuroyurihaze:20260214214626j:image

# 288 高松塚古墳壁画修理作業室

f:id:kuroyurihaze:20260122153844j:image昨年3月、椎間板ヘルニア手術の後はコルセット着用で3ヶ月安静。山歩きを再開したのが8月の二上山だった。二上山はリハビリ登山に丁度良くて、大阪側、奈良側、どちらからの登路もいろいろ試しながら登っている。

大阪側、万葉の森から登るときによく立ち寄るのが古代の石切場だ。その中に、高松塚古墳石室の石切場に同定されている場所がある。f:id:kuroyurihaze:20260122230451j:imageここに来ると、あの〝飛鳥美人〟と呼ばれる高松塚古墳石室壁画を思い出す。世紀の大発見大ニュースは1972年、明日香村ブームが起こり僕の記憶にしっかり残っている。その記憶を呼び覚まし懐かしむために二上山石切場に足を運ぶような…。二上山の凝灰石が飛鳥に運ばれて石室の部材になるというロマン…。

高松塚古墳の現場には遠足の下見で行ったことはあるが、もちろん壁画を見ることはできなかった。

壁画は国宝に指定されて一旦現地保存になったが、その後壁画にカビが生えるなどしたため石室を分解し掘り出して修理修復することに。

その場所が〝国宝高松塚古墳壁画修理作業室〟。

修理作業は完了し、期間限定で公開されていることを知り見学に出かけた。(日時指定で事前予約)

午後2時20分からの見学だったので、その前に高松塚古墳と隣接の壁画館に行き、予習とイメージトレーニング。f:id:kuroyurihaze:20260122213524j:image
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高松塚古墳壁画修理作業室は国営飛鳥歴史公園館の裏手にある。石室を構成していた16の直方体の石材が古墳から取り出され、大きな作業室に並ぶ。室内の温度と湿度は一定。まるで豆腐のような直方体、棺桶が並べられているようにも見える。我々は三つの見学窓からガラス越しに石材に描かれた壁画を見ようと試みる。写真撮影は禁止。入室の際にスタッフから双眼鏡を渡されるが、見学窓から遠い壁画ほど斜めから見ることになる。f:id:kuroyurihaze:20260122223059j:imagef:id:kuroyurihaze:20260122223103j:image

僕は双眼鏡で絵を見ることより、二上山産の凝灰石を肉眼でしっかり見る。凝灰石は思ったより白く微かにアイボリーが入り美しい。壁画面は漆喰が施されていてその面ははっきりと色が濃くなっている。二上山から運ばれた凝灰石は飛鳥で直方体に整えられたそうだ。スタッフの説明で、石材の側面をノミのようなもので削った跡にも気づけた。16の石材で隙間なく精密に組まれた石室。一千年を超えて壁画を守った二上山産凝灰石による石室の実在。

今までは二上山石切場から飛鳥を想ったが、今日は飛鳥から二上山石切場を想った。

円が無事に閉じられたような感じがした。

f:id:kuroyurihaze:20260122225214j:image(↑〝石棺〟ではなく〝石室〟ですね。)

 

 

# 287 楽園のゲルニカ

武田一義の漫画〝ペリュリュー 楽園のゲルニカ〟を知ったのは昨年の夏に読んだちくま文庫、山田英生編〝戦争と漫画〟による。f:id:kuroyurihaze:20260113184148j:image戦地を描く漫画なのだが、登場人物がかわいいキャラクターで、かつ、史実に基づくリアリティーが印象に残った。戦争漫画のオムニバスなので原作のごく一部、実際は全15巻の長編だそう。

その〝ペリリュー 楽園のゲルニカ〟が映画化されて公開中と知って早速観に行った。f:id:kuroyurihaze:20260113190610j:image

パラオ諸島にある小さな島、ペリリュー島は日本軍の飛行場があり、昭和19年夏にアメリカ軍が上陸し、両軍に多数を戦死者を出す壮絶な戦地となった。日本軍16000人のうち生存者34人、その34人は島内に隠れて持久戦をしていたため、昭和20年の戦争終結(敗戦)を知ることなく、結局、昭和22年に投降したという。

主人公、田丸が生存して故郷に帰還する場面で映画は終わる。日本軍の残りほぼ全部が戦病死、アメリカ軍も万を超す戦死者を出した戦地の凄惨な戦いの殺戮場面、兵糧を絶たれた日本軍の病死餓死の場面もある。

漫画によってその壮絶さはオブラートに包まれていると言えるし、逆に、鑑賞者の想像力に委ねられているとも言える。

戦争の史実やリアリティーを大切にしながら、場面場面の描写が鑑賞者に想像する機会を与えてくれる、そんな映画だ。

楽園の日常と戦場の日常、それは隣り合う日常で、ペリリュー島の日本軍兵士は〝死〟によってどちらの日常からも切り離される、そんな日常だ。

同じようなテーマの映画を昔観た。〝シン・レッド・ライン〟。ペリリュー島と同じく太平洋のガダルカナル島の戦場をアメリカ兵の視点から描いた映画。確か、主人公は最終的にジャングルの中で一対一で日本兵とばったり出会ってしまう。

そこで殺されれば〝戦場の日常〟からも切り離される。それは日本兵にとっても同じ。当時、〝シン・レッド・ライン〟は哲学的な映画と評され、心に残る映画になった。

それにしても、戦後80年にして太平洋戦争の戦地のリアリティーを伝えようとする若い世代の漫画家がいること、それを映画化しようとする人々がいることにホッとする。原作者 武田一義が脚本に関わっている。

2時間の映画の中に戦争がもつたくさんの矛盾や葛藤、日本軍のリアルが埋め込まれている。エンドロールの主題歌は上白石萌音が歌っている。彼女の歌声はこの映画に相応しい。

 

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# 286 ヒロシマ・コレクション —1945、夏。

原爆投下から80年、広島平和記念資料館の被曝資料を撮影した作品を展示する土田ヒロミ写真展に行ってきました。@中之島香雪美術館f:id:kuroyurihaze:20250724113717j:image

これに先立って、僕はこうの史代の漫画「夕凪の街 桜の国」【新装版】を読んでいました。2007年に映画「夕凪街 桜の国」を観て、こうの史代の原爆のリアルへのアプローチの仕方に共感。2016年に映画「この世界の片隅に」は公開直後に見に行きました。この二作とも戦争の記憶に対するアプローチの仕方は共通すると思います。

原作漫画「夕凪の街 桜の国」を読むのは初めて。18年前の映画の復習のように読みました。f:id:kuroyurihaze:20250724114052j:image「夕凪の街」と「桜の国」の二部構成なのが斬新で、作者が抱いた二つの課題を解決させる意志を感じます。一つは、いわゆる〝被曝の実相〟を描くこと。短編ながら、ヒロシマのいくつかの重要なリアルがコンパクトに詰まっています。(投下直後のヒロシマ原爆症のことなど、市民の日常の延長上に起こっている。)

二つめ。被曝世代ではない戦後世代が、どうすれば〝被曝の実相〟に近づけるか、ということ。作品では、被曝世代と被爆2世世代の家族史の中でストーリーが展開します。戦後80年、もはや戦後とも言えないほど遠い記憶となったヒロシマに近づくための方法論がある、と思います。

僕は1957年生まれ。原爆投下からわずか12年後の生まれであっても〝被曝の実相〟に近づくことは容易でない。ましてや、今の若者世代にとってヒロシマは知識としてでさえ希薄でしょう。

以前にも書いた気がしますが、僕は大学生の時に、合唱団の一員として広島原爆病院に行ったことがあります。原爆症で入院している患者さん達を前に合唱したのだがとても緊張してしまった。それは、その時初めて、原爆症の患者さんという〝ヒト〟を介して被曝の歴史をリアルに肌で感じたからだと思います。

僕は少なくとも〝ヒト〟を介して〝被曝の実相〟に近づく機会がありました。では、これからは?

今回の土田ヒロミ展は、写真という〝モノ〟を介して〝被曝の実相〟に近づく機会になります。

例えば、このワンピースの写真。f:id:kuroyurihaze:20250724123222j:image会場では大判の高精細カラー写真の下に、このワンピースにまつわるテキストが提示されています。↓

寄贈:2001年6月18日/寄贈者:藤澤敏子(藤澤節子さんの妹)/910×660cm

藤澤節子さん(当時23歳)は、新川場町(爆心地から750m)の勤務先で被曝。建物の下敷きになったが脱出し船越の叔父宅に逃れた。3日後、探しにきた母・コタケさん(当時46歳)と三次の親戚宅に身を寄せる。原爆症状が悪化し8月18日死亡。このワンピースは、節子さんが自分で縫ったもので被曝当日着用していたもの。これを着たまま死亡。

 

このように、一つ一つの写真とテキストを読み進めていくことで、想像力を働かせる機会が得られます。

展覧会チラシの案内文が優れています。最後の段落だけ紹介します。↓

「資料の一点一点にそれぞれの物語があります。衣類から日用品の品々、玩具、小さな瓦礫や欠片まで、当時の生活風景とその日常が突然破壊され停止したことを想像できるような展示を目指しました。過去への深い理解は、未来への深い想像力をもたらします。1945年の夏に起きたこと、それらが過去の悲惨な出来事でなく、現在を生きる世界中のあらゆる人々にとってのリアリティとして共有されることを願っています。」

 

※展覧会の出品作品リスト、無料。見開き8ページで全てのカラー写真とテキストが掲載されています。紙質も良く丁寧に作成されていて主催者の良質な願いを感じます。f:id:kuroyurihaze:20250724130136j:image

 

 

 

 

 

# 285 展覧会の絵とEL&P

山田和樹指揮のバーミンガム交響楽団京都公演(@ロームシアター)、メインプログラムは〝展覧会の絵〟だった。

原曲がムソルグスキーのピアノ組曲展覧会の絵〟は、ラヴェルによるオーケストラ版編曲が有名で、多くの人が耳に馴染んでいると思う。

今回、山田和樹ラヴェル版ではなく、イギリスの指揮者ヘンリー・ウッドによる管弦楽編曲版を選択していた。ヘンリー・ウッド版を聴くのはもちろん初めて。ラヴェル版との違いが分かるかどうか心配だったが杞憂に終わった。全く別物。しかも、ヘンリー・ウッド版の方がラヴェル版より早く作られているという。(ラヴェル版を真似しようがない。)イギリスのオケで、イギリスの作曲家による編曲で、いつもとは一味も二味も違う〝展覧会の絵〟を日本の聴衆に紹介しようという指揮者の粋な計らいだ。プログラムの曲紹介を引用すると、「…多数の打楽器やオルガンを含む大編成のうちに各曲の描写的な性格を誇張するかのように際立たせたもので、時におどろおどろしく、時に滑稽にといった、カリカチュア風のパロディ精神に溢れた編曲になっている。(寺西基之)」ので、意表を突かれることが多く楽しめた。

僕にとっての〝展覧会の絵〟の最初は、ムソルグスキーピアノ曲でも、ラヴェル版でもなく、ロックバンドのEL&P版〝展覧会の絵〟だ。f:id:kuroyurihaze:20250706160918j:image

キース・エマーソン(キーボード)、グレッグ・レイク(ベース・ボーカル)、カール・パーマー(ドラムス)の三人組ロックバンドは、リーダーのキース・エマーソンがキーボード奏者というのが珍しく、ギター抜きのロックバンド。

ムソルグスキー展覧会の絵〟をロックに編曲したアルバムを発表して、クラシック寄りのロックバンドとして人気を博した。僕も〝展覧会の絵〟のLPアルバムをお小遣いで買って熱中して聴いた。…なので、ラヴェル編曲版〝展覧会の絵〟を聴くと、しばらくはEL&P版〝展覧会の絵〟が頭の中で鳴ってしまっていた。もっと言えば、ムソルグスキーのピアノ組曲展覧会の絵〟を初めて聴いたときはすごく違和感を感じてしまった、原曲なのに…。

EL&Pのファンになった僕は、中学3年のとき、EL&Pの来日公演を聴きに後楽園球場に。実演ではキーボードのキース・エマーソンが大暴れ、キーボードやシンセサイザーを振り回し、叩きつけ、分解しながら演奏していた。さすがプログレッシブ・ロック

LPでは、〝タルカス〟がいい。こちらは編曲ではなく彼らのオリジナル・アルバム。〝タルカス〟はなんと、日本の現代作曲家、吉松隆によるオーケストラ編曲版がある。藤岡幸夫指揮・東京フィルハーモニー交響楽団の演奏がCDで発売されている。ロックと現代音楽が融合した〝超〟編曲、演奏も凄い。(ライブ録音)f:id:kuroyurihaze:20250706160901j:image

 

# 284 スウェーデンの夏至祭

一昨年、スウェーデンに行った時、〝Mid Summer〟という単語を聞いた。その時は、日本の感覚で〝真夏=7、8月〟と理解した。

スウェーデン夏至祭の写真を見ながらの会話だったので、しばらくして〝真夏=夏至〟と思い至った。(今年の夏至は6/21)

そういえば、シェイクスピア真夏の夜の夢〟も夏至でのできごと。夏至は特別な日で、妖精が現れたり不思議なできごとが起こりがち、なのだ。日本語訳も〝夏至の夜の夢〟の方が誤解されなくて良いように思う。(ちがうかな?)

さて、

6/15(日)、〝スウェーデン夏至祭〟というタイトルに魅かれてびわ湖ホールに行ってきた。f:id:kuroyurihaze:20250616131251j:imageスウェーデンからヴェスタノー・バンドという伝統音楽を礎にして活動しているグループを招いてのコンサート。専用劇場を持ち、いろんな編成で音楽や劇を取り入れた活動をしているという。今回は6人編成でのコンサート。f:id:kuroyurihaze:20250616132303j:image息のあったアンサンブル、夏至祭に関わる音楽や、スウェーデン伝統音楽に現代的要素を加えたオリジナル曲を演奏してくれて、とても楽しめた。(CDを買ってサイン会にも参加しました。^_^)

びわ湖ホールでは関連企画として、5月にレクチャー〝スウェーデン夏至祭〟や、ワークショップ〝花冠つくり〟(夏至祭で花冠をつけてダンスする。)を開催。

そして、コンサート当日はホール・ホワイエに夏至祭の象徴である〝メイボール〟が置かれた。(〝メイポール〟が広場に建てられ、その周りに集まってダンスして祝う。夏至祭はクリスマスと並ぶイベントだそう。)ウェルカム・イベントとして日本人のスウェーデン愛好家による演奏とダンスが披露され、我々も手をつないで歩くダンスに参加させてもらった。愛好家グループはスウェーデン民族衣装。f:id:kuroyurihaze:20250616134103j:imagef:id:kuroyurihaze:20250616134119j:image

   (メイポールが置かれたホワイエ↑)

高緯度の北欧は冬の日照時間がきわめて短く、しかも曇天、寒くて暗い日が続くそうだ。気分が落ち込みがち、耐えられない、と思う。

それだけに、日照時間が一年で最も長い夏至はいのち輝く特別な日で、光と自然に感謝するお祭りが行われるのも頷かされる。

日本は夏至を待たずして猛暑日が到来している。夏至といっても、ちっともありがたくないのだった。