クロユリハゼの休日

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# 265 大潮にマンタ

※〝うみまーる〟=井上慎也(KINDON )+高松飛鳥(ASUKA)

f:id:kuroyurihaze:20240913230419j:image沖縄座間見島を拠点に活動している自然写真家ユニット〝うみまーる〟によるカレンダーは毎年購入し、我が家ではトイレに飾っている。便座に座ると眼の前の壁に掛かっているので毎日必ず眺めている。

今月の写真はマンタ。

キューバダイビングでのフィッシュ・ウォッチングでは何百種類もの魚たちに出会ったが多くは記憶から遠ざかってしまう。しかし、マンタのような大物に遭遇した記憶は今でもかなり鮮明だ。f:id:kuroyurihaze:20240913231640j:image

マンタには座間味島近くの〝イジャカジャ〟という大きな岩が連なるポイント付近で3回遭遇した。大潮の前後にはイジャカジャでの遭遇率が高まるので、その日はボートで移動中も、いつマンタに遭遇しても海に飛び込めるようにフィンとスノーケルを装着して臨戦体制だった。f:id:kuroyurihaze:20240913232604j:image座間味島の展望台から。イジャカジャが見える。

ログブック(記録帳)を見返して確認してみた。

①2005年3月28日f:id:kuroyurihaze:20240913233413j:image(タンクを背負って海に)エントリーして、潜降前、船上の小崎さん(ガイド)が発見。(マンタ❗️の叫び声)大永さん(ガイド)についていく。

・(マンタを)後ろから水面キックで追う。10mくらいまで接近。(マンタは)反転してきて、前方1.5mくらいで翻って去った。

・(潜降後)水面近くを右から左へ(泳ぐマンタを)下から見上げて見る。

・目玉の位置がよくわからず確認できなかった。曇りで水中の明るさが不十分だったがかなり接近できて良かった。デカイ‼︎

・(マンタが翻ると)コバンザメも慌てて翻る。

②2007年3月29日f:id:kuroyurihaze:20240913234857j:image(ポイントへの移動中に遭遇。)マンタは水面近くのプランクトンを捕食中。ちょっと小さめのマンタ。(スノーケルで海に入ると)水中はプランクトン密集で白濁。(プランクトンが肌に触れるとプチプチと爆ぜるような音)マンタは間近まで3度。大口。目が合ったような。最後はいっきに潜降、あっという間に去っていった。

③2014年8月30日f:id:kuroyurihaze:20240913235721j:image※ポイントにボートで移動中、イジャカジャの岩礁で遭遇。マンタ3匹の群れ! スノーケルで飛び込む。(マンタは水面を泳ぎ回っている。そのうちの1匹は尻尾がない。)マンタが(潮に)流され大接近。ガイドさんの「離れて!」の叫び声。思わずのけぞった瞬間、目の前で翻った。(この時のマンタは〝ナンヨウマンタ〟、カレンダー写真と同種。、稀な種類らしい。)

 

★ログブックによると、この日僕は座間見島阿佐地区にある〝うみまーる〟のプチギャラリーを訪問していた。店番のスタッフが電話でKINDON とASUKAを呼び出してくれた。写真集〝Friends〟とカレンダー購入の記載あり。サイン、記念写真。f:id:kuroyurihaze:20240914002124j:image
f:id:kuroyurihaze:20240914003228j:image

 

 

 

 

 

# 264 〝ノグチゲラ〟と〝陶工〟

大阪に住みながら終生、故郷沖縄の風土や沖縄戦をテーマに作品を創作した版画家、儀間比呂志(1923-2017)。彼のことはなぜか子どもの頃から知っていた。たまたま2016年に彼のお孫さんと同勤したのをきっかけに作品や著作を購入し、その翌年、儀間比呂志さんは亡くなられた。

 

生誕100年の節目に、儀間さんと親交があり、彼のアトリエのあった大阪狭山市内のギャラリーから〝儀間比呂志木版画展〟の案内がきた。おそらく地元ではこれが最後の展覧会かと思い、初日に見に行った。

ギャラリーのオーナー佐々木さんから儀間さんについていろいろお話を聞かせて頂いて、まだ額装もされていない刷られた時の姿のままの木版画二点を購入した。どちらの作品も裏彩色されて美しく温かい。

f:id:kuroyurihaze:20240810223435j:image

〝陶工〟は那覇、壺屋焼の陶工の姿を描いたもの。首を傾げて初々しく、そして熱心に壺を制作する若者の姿が良い。背後のシーサーが若者を見守っているかのよう。四つ切りより少し小さいくらいのサイズ。

那覇市壺屋は少し散歩で通り過ぎた程度であまり印象に残っていない。ギャラリーの佐々木さんのお話では、昔はかなりディープな沖縄らしい雰囲気があったそうだ。

壺屋焼といえば、我が家にも沖縄旅行の際に買った小皿がある。f:id:kuroyurihaze:20240810224007j:imageうろ覚えだが、壺屋焼の人間国宝、金城次郎さんの女性の縁者の作品と販売の方が話していた。改めて小皿の裏を見ると、〝須〟の刻印が…。どうやら金城次郎の長女、須美子さんの手によるもののようだ。f:id:kuroyurihaze:20240810231019j:image

 

木版画、もう一枚。〝ノグチゲラ〟という小品。f:id:kuroyurihaze:20240810224833j:imageノグチゲラはキツツキの仲間で、沖縄本島北部〝やんばる〟に生息する日本固有種、絶滅危惧種だ。琉球の女性がノグチゲラと向かい合うかのように配置され、渦や三角の背景が女性のデザインと共鳴する構図。

二作品ともギャラリーで額装してもらい、〝陶工〟はダイニングに、〝ノグチゲラ〟は階段の壁に飾った。f:id:kuroyurihaze:20240810231257j:image

 

※ 我が家の儀間作品、木版画

f:id:kuroyurihaze:20240810230242j:image↑ 〝ふたり〟この作品にも小鳥。

f:id:kuroyurihaze:20240810230355j:image↑ 〝朝〟働く沖縄の女性たち。

 

f:id:kuroyurihaze:20240810230518j:image↑タイトルなし。壺を抱く女性。

 

 

# 263 ミューレン

昨秋、NHK-BSの番組で女優の岸井ゆきのさんがスイスでハイキングする番組を観た。ユングフラウ三山を眺めながらお花畑の中を歩く姿に触発されて、スイス・ハイキングのパック旅行を予約したのが昨年末。

そして、この7月、実際に行ってきた。

旅の前半は、氷河に削られたU字谷ラウターブルンネン谷)の西の絶壁の上にある小さな山村、ミューレンに三連泊し、ここを拠点に毎日ハイキングと展望台を巡った。f:id:kuroyurihaze:20240726003350j:image

ミューレンは人口300人余、11軒の宿がある観光の村。排気ガスを出す車の乗り入れが禁止されているので、標高1600mの村まではロープウェイで入村した。オーバーツーリズムとは無縁の静かな環境で、U字谷を隔てた向かい側の絶壁の向こうにユングフラウ三山(アイガー、メンヒ、ユングフラウ)を望む絶好のロケーション。f:id:kuroyurihaze:20240726003710j:image↑夜明け前、宿の部屋から見えた アイガー、メンヒのピーク。

ハイキング初日は、宿のすぐ裏からケーブルで標高1900mまで上がり、主に放牧地の中をミューレンまで歩くノースフェイストレールというハイキングコース(約6km)。ユングフラウ三山とそれに連なる岩峰の眺望が楽しめるはずだが、あいにく、三山のピークには雲がかかっていた。(旅行パンフの謳い文句〝ユングフラウ三山北壁眺望ハイキング〟)f:id:kuroyurihaze:20240726004116j:image

ちょうど、放牧地は夏のお花畑シーズンで、赤、ピンク、紫、青、黄、白など色とりどりの花々が咲いていた。ミューレン在住という日本人ガイドが花の名前を教えてくれるが、とても覚えきれない。f:id:kuroyurihaze:20240726004020j:image

ハイキングコースは乳牛の放牧地で、さらに標高の高いところは山羊の放牧地。(肉眼では山羊は点々にしか見えない。)

放牧といえば、牛さんたちが緑の葉っぱを食べるイメージしかなかったのだが、実は、彼らはお花をムシャムシャ食べていた。…なので、牛さん達が食事をしたエリアはお花畑が見事に無くなっている。唯一、彼らが嫌いな黄色い花(名前を教えてもらったが忘れた。)だけが残されていたりする。

f:id:kuroyurihaze:20240726002937j:imageカウベルというのは昔の話だと思っていたが、今でもちゃんと牛さん達は首にぶら下げている。かなり遠くまでカランコロンと素敵な音が重なって響き渡っていた。(かなり重そう、音もうるさくないんだろうか。)

f:id:kuroyurihaze:20240726003048j:imageコースの途中、スイス国旗を掲げた一軒家が。ここは放牧、搾乳、チーズまで自家生産して現地販売しているそう。(国旗は販売をしている目印。)スイスのチーズの中でも最も重宝されているそうだ。(あまり使いたくないが、〝格上〟ということ。)

さっき、言い忘れたが、地元の方(スイス人)は、あの色とりどりのお花の名前をほとんど知らないそうだ。彼らにとっては、放牧地の数々のお花はただの雑草でしかない、というのが一般的な認識らしい。

今回の旅行は、計5回のハイキングがあった。各回とも日本人ガイドに案内して頂いたが、どのガイドさんも花の名前に滅法強かった。やはり日本人の関心に合わせて勉強されているのだなあ。

 

※ちなみに、

ミューレンを拠点に日帰りハイキングした残り2回の旅行パンフの謳い文句。

〝アイガー北壁直下眺望トレッキング〟f:id:kuroyurihaze:20240726004355j:image↑ヴェッターホルンが美しい。

〝アイガーと高山植物鑑賞ハイキング〟f:id:kuroyurihaze:20240726004609j:image↑アイガー東壁、北壁が見える。

 

★旅の後半はツェルマットに移動して三泊。(山岳ホテル一泊を含む)

〝逆さマッターホルンの眺望と野生エーデルワイス探索ハイキング〟f:id:kuroyurihaze:20240726002457j:imagef:id:kuroyurihaze:20240727131638j:imagef:id:kuroyurihaze:20240726002632j:image

マッターホルン北壁直下トレッキング〟

f:id:kuroyurihaze:20240726004912j:image↑この後、森林限界まで下った頃、雨が降り出した。

この雨以外は好天に恵まれ、どのハイキングも景色を楽しめて幸運だった。

 

 

# 262 一魚一会

f:id:kuroyurihaze:20240608233113j:image京都大学白浜水族館に行ってきた。実は今年二回目の見学。随分前、確か正月元旦に訪れた際には水族館のバックヤードツアーにも参加した。(正月のせいか、玄関清掃をしていたオジサンが、受付、ガイドもたった一人で担当していた。)

大学の研究機関付属という珍しい水族館で、小ぶりながら白浜周辺のサカナやエビ・カニ無脊椎動物などを展示していて、何度行ってもゆったり見学できて楽しめる。

毎年のように通っていた沖縄水納島のダイビングサービス〝クロワッサンアイランド〟が店を閉じたのをきっかけに、二十年余り続けていたスキューバダイビングを辞めた。ダイビング機材も処分した今、フィッシュ・ウォッチングといえば、水族館に限られる。

沖縄の珊瑚礁の海と南紀の海では随分魚種が異なるが、南紀の海にも何度か潜ったので今までに出会ったサカナ達の思い出がいろいろと蘇る。(珊瑚礁の魚を展示する水槽も一つある。)

展示室の一角に図書スペースがあり、〝さかなクンの一魚一会〟という本があった。f:id:kuroyurihaze:20240609000255j:image早速Amazonで購入したのだが、すこぶる面白い。

本の内容はさておき、僕にとっての〝一魚一会〟を二つ紹介してみる。

白浜水族館には、コバンザメの展示水槽がある。頭の上に吸盤があって、クジラやウミガメなどにくっついている、あのおサカナだ。f:id:kuroyurihaze:20240609001205j:image水槽の壁にもくっついて憩んでいる?のだが、こんな感じで縦にくっついている。なんだか奇妙だ。↓f:id:kuroyurihaze:20240609001331j:imageこのコバンザメ、一度だけ僕の太ももにくっつこうとしたことがある。沖縄座間味の海(慶良間諸島)のとあるポイントで、水中写真家の大方洋二さんも一緒に潜っていた。大方さんは撮影目的なのでほとんど単独行動なのだが、たまたま砂地の同じ場所で何かのサカナを一緒に観察していた。太ももにツンツンと感触があって、大方さんがびっくりしたように僕の太もものあたりを指差した。振り向くと、僕の太ももにひっつこうとするコバンザメくんだったのだ。コバンザメは行ってしまって、大方さんの眼はニコニコしていた。(2004/8/6)

もう一つはオオカワリイソギンチャクの展示水槽(写真なし)。地元田辺の水深40mの海底に群生し、レモン色の蛍光色に妖しく光っている。オオカワリイソギンチャクの群生は珍しいようだ。この群生地に、田辺のダイビングサービスに一度だけ連れて行ってもらったことがある。水深40m近くまでの潜降は、僕にとってはぶっちぎりの記録である。(2002/10/14)

 

※スキューバダイビングを始めて、初めて買った魚類図鑑。著者は大方洋二さん。f:id:kuroyurihaze:20240609011545j:imageその後偶然、大方さんと座間味島のダイビングサービスで何度か一緒に潜る機会があった。

 

 

 

# 261 〝便所掃除〟

昨年の夏、スウェーデンに滞在した折、一度だけストックホルムで公衆トイレを利用した。地下鉄の駅にはそもそもトイレがないらしく、駅前広場に公衆トイレを見つけて入った。これが、表現するのが憚れるほど汚い。利用者のマナーの悪さと掃除が行き届いていないことの相乗効果で〝目も当てられない〟とはこのことだ。

そんな折、思い出したのは〝便所掃除〟という詩。国鉄職員だった濱口國男という方が書いた詩で1955年にこの詩で国鉄詩人賞をとっている。

……………… ……………… ……………… ……

〝便所掃除〟


扉をあけます

頭のしんまでくさくなります

まともに見ることが出来ません

神経までしびれる悲しいよごしかたです

澄んだ夜明けの空気もくさくします

掃除がいっぺんにいやになります

むかつくようなババ糞がかけてあります

 

どうして落着いてしてくれないのでしょう

けつの穴でも曲がっているのでしょう

それともよっぽどあわてたのでしょう

おこったところで美しくなりません

美しくするのが僕らの務めです

美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

 

くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます

静かに水を流します

ババ糞におそるおそる箒をあてます

ポトン ポトン 便壺に落ちます

ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します

落とすたびに糞がはね上がって弱ります

 

かわいた糞はなかなかとれません

たわしに砂をつけます

手を突き入れて磨きます

汚水が顔にかかります

くちびるにもつきます

そんな事にかまっていられません

ゴリゴリ美しくするのが目的です

その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします

大きな性器も落とします

 

朝風が壺から顔をなぜ上げます

心も糞になれて来ます

水を流します

心に しみた臭みを流すほど 流します

雑巾でふきます

キンカクシのうらまで丁寧にふきます

社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

 

もう一度水をかけます

雑巾で仕上げをいたします

クレゾール液をまきます

白い乳液から新鮮な一瞬が流れます

静かな うれしい気持ちですわってみます

朝の光が便器に反射します

クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

 

便所を美しくする娘は

美しい子供をうむ といった母を思い出します

僕は男です

美しい妻に会えるかも知れません

……………… ……………… ……………… ……

昔は水洗トイレではなかった。洋式便座もなかった。今とは随分様子が違う。

この詩を知ったのは、おそらく、〝詩の中にめざめる日本〟(真壁仁編 岩波新書 1966年)。読んだのは中学生の頃だと思う。f:id:kuroyurihaze:20240427180834j:imageその後、教師になってから読んだ〝詩のこころを読む〟(茨木のり子編 岩波ジュニア新書 1979年)にも収録されている。〝便所掃除〟のページに折り込みが入っているので生徒達にも紹介したかもしれない。

昨年末、BSテレ東で〝寅さん〟の映画を何げに観ていたら、突然、この詩が出てきた。マドンナ役の伊藤蘭が通う定時制高校の授業で、先生役の松村達夫が〝便所掃除〟の朗読を始めたのだ。たぶん全文を朗読したのでかなり長いシーン。途中で生徒達がキャハハハと反応しつつも、淡々と朗読する松村達夫。(松村達夫が渋い!)山田洋次らしいシーンだなあと思った。

その頃には、役所広司主演の〝PERFECT DAYS〟(ヴィム・ヴェンダース監督)が話題になっていた。東京・渋谷の公衆トイレの清掃をする男が主人公だという。〝便所掃除〟の詩のような映画だろうか、興味を持った。

年が明けて2月のある日、〝PERFECT DAYS〟を観に行った。

この映画の渋谷の公衆トイレのシーンはあくまでも清潔だ。観ていて不快な場面は一つもない。(# 245〝せかいのおきく〟とは対照的)主人公の日常、ルーティンが丁寧に描かれている。時折、ルーティンに波風を立てる出来事が起きるが、あくまでも基本は堅固な日常のルーティーン。目覚めのきっかけも出勤時の缶コーヒーも帰り道に立ち寄る店も、就寝前の文庫本読書も休日のコインランドリーも常に同じ。トイレ清掃の仕事も、もちろんルーティンのひとつ。この映画の素敵なのは、主人公が昼休憩(神社の境内?)で空を見上げて木漏れ日をカメラで撮影すること。週末ごとに現像に出して、同時に仕上がった木漏れ日の写真を持ち帰る。家に帰って写真を選別してボツになった写真を破り捨てるのもルーティン。日常生活の中にちょこっと素敵なことが埋め込まれている。

人生というのは日常のルーティンが基本で、その中にちょっと素敵なルーティンがあればいいなあ、と思わされる映画だった。

 

 

# 260 『風神・雷神』

新実徳英作曲、

和太鼓とオルガンとオーケストラのための『風神・雷神』を井上道義の指揮で聴いてきた。 (@ザ・シンフォニーホール

・和太鼓:林英哲

・(パイプ)オルガン:石丸由佳

管弦楽:大阪フィル

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… … …… … … … … … …… … … …

さて、

合唱団(とんだばやし混声)の定期演奏会まで三ヶ月を切った。6月の定期演奏会は作曲家・新実徳英氏をゲストに迎えて、氏の合唱曲をプログラムのメインに据えたプログラム。

合唱組曲『花に寄せて』では、作曲者である新実徳英氏の客演指揮で演奏することになっている。

先週、新実徳英氏を富田林に迎えての特別練習があった。その夜、新実先生を招いて懇親会が開かれ、その席で先生と少し会話を交わす機会があった。

私:「新実先生、先生の器楽曲を聴いたことがないんですが、今度大阪で井上道義さんの指揮で先生の曲を演奏しますね、5月でしたっけ?(演奏会の日も曲名もろくに覚えてない私。)」

先生:「来週だよ!」

私:「えっ、来週でしたか!失礼しました。その日は合唱団の練習日で…」

先生:「練習なんかやめちまえ。」

私:「先生は聴きに行かれるんですか?」

先生:「当然!聴きに行くよ!」

私:「初演の曲ですか?」

先生:「もう20回くらい演奏されてるよ!(井上)道義は5回目かな。」

私:「それはまたまた失礼しました!」

 

失礼なことばかり言ってしまったが、先生はとても気さくな方なので怒ったりはしない。

…ということで、翌日チケットを購入し、今日、『風神・雷神』を聴いてきた次第。

 

和太鼓が雷神を、パイプオルガンが風神を演じ、オケまでフル編成なのでその音量たるや、ザ・シンフォニーホールでも最大級ではなかろうか。これは実演でしか体感できない。(和太鼓のどでかいこと!)

和太鼓は遠雷から超弩級の落雷まで、オルガンはつむじ風から暴風まで、風神・雷神がステージで立ち現れるような構成で、ソリストの衣装も風神・雷神の特注!(だと思う。)ソリスト同士の激しい掛け合いの部分ではソリストのみに紅いスポットが当たり、ステージ照明が落とされた。オルガン奏者は激しく身体をくねらせパイプオルガンの鍵盤をまるで乱打するかのよう…。古代の祭事で祈祷を行う巫女か!(足元に送風機が設置しているらしく、衣装の長い布が風にたなびく。)和太鼓奏者は途中から上半身(背中)のムキムキ筋肉を露出してこれまた神事を司るに相応しい。そう、現代曲を聴いたというより、壮大な神事に立ち会うような曲。

最後はオケメンバーも一体になった気合いのこもった雄叫びで締めくくった。

プロデュース力抜群の井上道義の演出で大いに盛り上がった演奏会だった。

 

そして、

合唱曲で知る新実徳英とは全く異なる一面を見た演奏会でもあったとさ。

 

※合唱団の練習開始には間に合いました。

※一昨年、新日本フィルとの『風神・雷神』がYouTubeに上がっています。

https://m.youtube.com/watch?si=FeV8wtfroLHWEjGT&embeds_referring_euri=https%3A%2F%2Ftokuhideniimi.com%2F&source_ve_path=MTY0OTksMTM5MTE3LDE2NDk5LDI4NjY0LDE2NDUwNg&feature=emb_share&v=bhxMbyP7MPw

 

 

 

 

 

 

# 259 劇団四季と浅利慶太

劇団四季のミュージカル〝バケモノの子〟を観てきた。(@大阪四季劇場)実は、一月にも観たので〝バケモノの子〟は2回目。2回とも、地元出身の青年(合唱団の関わりの中で小学生の時から知っている)が主役(蓮=九太)で出演する日を狙い撃ちで観てきた。

2回目なのでストーリーや展開がわかっていて、1回目には気づかなかった演者の様子やアンサンブルの工夫など、諸々の工夫が見え、テーマも浮き上がってくる。1回目より楽しめて、時間も短く感じた。

とにかく、演者や装置の動きが目まぐるしく、視覚や聴覚に入ってくる情報量がすごく多いし、伝わるメッセージもなかなかのものなので、3回目も行きたくなる、ホントに。海外ミュージカルの移入ではなく、劇団四季オリジナル。舞台が東京渋谷というのも功を奏していると思う。

〝バケモノの子〟の内容についてはさておき、

劇団四季についてちょっと振り返ってみる。

若い頃の記憶は二つ。

大学卒業の年にミュージカル〝コーラスライン〟を観たのが最初。余計な装飾を排したシンプルな舞台、シンプルな進行でダンサーを目指すアメリカの青年の姿を描いた。シンプルに感動した。

就職して、労演の会員だった先輩に誘われてかなり頻繁に新劇を観た。その中のひとつと思うが劇団四季で〝カッコーの巣をこえて〟(日下武史主演)を観た。これはセリフ劇で、まだこの頃は劇団四季は新劇の範疇に入っていたのかもしれない。

その後、労演からも劇団四季からも遠ざかっていった。(単発で井上ひさしが座付き脚本家の〝こまつ座〟などを観ていた)その間にあれよあれよという間に劇団四季は発展し、大都市の一等地に専用劇場を擁するミュージカル主体の巨大劇団に成長していた。

劇団四季創立者のひとり、浅利慶太は劇団発展の中心人物。彼は時の首相中曽根康弘のブレーンの地位に就いてたりしてなんとなく胡散臭い。そのことが僕を劇団四季から遠ざかる心理を働かせたようだ。ひと月ほど前、浅利慶太がどういう人だったのか気になって「劇団四季浅利慶太」という本を読んだ。(文春新書 2002年)f:id:kuroyurihaze:20240329233000j:image

その中で印象に残ったこと。

「役者が役者の仕事だけで食っていける劇団にする。」

その昔(今でも?)、新劇は役者の仕事だけでは生活できないのが普通だったようだ。浅利慶太は様々な上演機会を試行錯誤し経営戦略を追求していた。

芸術集団としても、役者のトレーニング法を構築し組織していく。

「日本語がしっかり伝わる発声法をトレーニングする。」

時に〝四季節〟と揶揄されて憤慨する浅利慶太の姿があったという。この発声法は現在のミュージカルでも活かされているようだ。〝バケモノの子〟を観ても、子役も含めて全ての演者のセリフと歌が聴き取りやすいのだ。

劇団四季はスター主義を採らない。僕はこのことを好ましく思う。芸術集団としての共通メソッドを確立して台詞、歌唱、ダンス等の質を担保し、どの配役でも演者が高い水準を保つことでスター主義に頼らない。経営的にも多数の専用劇場と地方公演を維持することができる。

商業的に成功している劇団四季。新しいレパートリーに莫大な資金を投入しているのは〝バケモノの子〟を観ればよくわかる。

このように、劇団四季のミュージカルを浅利慶太の遺産の継承という視点をもって鑑賞するのもあり、と思う。f:id:kuroyurihaze:20240329235059j:image