クロユリハゼの休日

やま とり うた みる きく よむ うみ など

# 255 〝山道〟

〝断捨離〟という言葉は、どこか薄っぺらい響きがして好きではない。

…それはともかく、

思い立って物置き部屋を整理していると、覚えのない〝資料〟がいろいろ出てきた。その中のひとつ。

f:id:kuroyurihaze:20240223135001j:image

小学校の卒業記念品。スクラップブックだ。

最終ページに担任の先生のかなり長文のメッセージがあった。初めて読んだかも…。

パラパラめくると、作文が書かれた原稿用紙やスケッチ、切り絵、読書記録、修学旅行の写真が挟まったり貼られたりしていた。

その中に、岩湧山に登った時の作文(6年生)があった。

  ………………………………………………………

 〝山道〟    6年2組  〇〇 〇

 岩湧山の 帰りの道は、今までになく「山道だなあ。」と思わされた。

 まわりの木を 見上げると きちんと 背の高さが そろい 枝は、自然に 動き 枝の上には、太陽が 小さな玉に 散らばって光っていた。

 道は うぐいす色に 反射して 土の中から 小さな木が 生まれて くるかと 思われるほど 神秘的である。

 この景色を 色にたとえれば、しぶみのある緑色というところである。そしてそこに まぶしい白がところどころ 浮いているのだ。

 山の空気を おもいっきり吸うと むねの中の なにか ひっかかるものが 消え去っていくようで 思いっきり 走りたくなる。

 こんな山道が うらやましい。

  ………………………………………………………

岩湧山に小学校の時に登っていたとは。遠足だろうか。作文も全く記憶がなかったので新鮮。f:id:kuroyurihaze:20240223140654j:image

 

↓ 友達の顔だろうか。

f:id:kuroyurihaze:20240223140737j:image

 

 

 

 

 

# 254 世界のオザワ

小澤征爾さんが亡くなった。

指揮者の山田和樹がTVや新聞のインタビューを受けてコメントを寄せていた。 

「指揮は、自分の呼吸がオーケストラに伝わることが大事。(小澤さんの指揮は)いかに共感を産み、息づかいとかイマジネーション、同じ一つの呼吸を全員が共有できるかに収斂されていたと思う。」

「一人一人の極限の力を引き出す才能、動物的才能がすごかった。」

「あれだけのパワー、エネルギーを出し続けた人だから、お疲れさま、ゆっくりして。」

「…だけれども、願わくば、亡くなってからも我々を叱咤激励し続けてほしい。」

f:id:kuroyurihaze:20240214225849j:image

その日、読売日本交響楽団の演奏会だった山田和樹。プログラムの前半を終えた休憩時間に訃報を伝えられたという。

「悲しみの中で演奏会をするのは先生の望みではない。音楽は楽しいものとして、共有したい。黙禱はしない」「本日の演奏を先生に捧げさせて頂きたいと思う。」

 

 

今日、その山田和樹指揮の読売日本交響楽団、大阪定期演奏会に行ってきた。(フェスティバルホール

シュトラウス交響詩 ドン・ファン

ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」

・フランク「交響曲 二短調

f:id:kuroyurihaze:20240214214343j:image

山田和樹の指揮は観客にとっても情報量がとても多い。曲想の変容、各楽器の役割、ダイナミクス、緩急の変化などなど、スコアに書かれていることを指揮者がどのように掴もうとしているかが客席から見える指揮。指揮者の呼吸とオーケストラの呼吸が協応し合うさまが見えるという点で、小澤征爾の指揮と通ずる気がする。

 

山田和樹小澤征爾と同じくブザンソン指揮者コンクールに優勝した。その時、僕は〝オザワ〟の再来を〝ヤマダ〟に夢想した。とんだばやし混声合唱団が山田和樹の指揮で東京混声合唱団と共演したのは、彼がブザンソンで優勝する以前のこと。その後の彼が欧米の名門オーケストラで次々とデビューしていく姿を〝世界のオザワ〟のストーリーに重ねて〝推し〟ていくことになる。

 

再び小澤征爾。半世紀もの間に、〝ボクの音楽武者修行〟を読み、TV〝オーケストラがやってきた〟や〝サイトウ・キネン・オーケストラ〟などの音楽番組を観て小澤征爾と同時代を生きてきた。コンサートにも、三度だけではあるが足を運び実演に接してきた。小澤征爾の指揮は映像の記憶として残っていくと思う。

 

※僕が接した小澤征爾指揮の演奏会。

:メイン曲。

①大阪フィル

チャイコフスキー 交響曲第5番

大フィルが燃えに燃えた。30年以上前。これ以降大フィルに客演していない。

 

ボストン交響楽団

バルトーク 管弦楽のための協奏曲

こういう曲を小澤征爾で聴きたかった。カッコよかった。

 

ボストン交響楽団

マーラー 交響曲第2番〝復活〟

少し精彩さを欠いていた印象。声楽を含むこんな大曲も暗譜で振る小澤さん。きっとドイツ語の歌詞も全部頭に入ってるんだろうな。(!)

 

# 253 バビ・ヤール

〝バビ・ヤール〟はウクライナ、キーウ近郊の地名。ナチス・ドイツユダヤ人虐殺を行った場所だそう(当時はソ連領)。この地を訪れたソ連の詩人が〝全ての反ユダヤ主義者〟を告発する詩を発表した。感激したショスタコーヴィチはその詩を用いて交響曲第13番を創作した。

 

ややこしいのは、〝全ての反ユダヤ主義者〟の中にソ連政府が含まれていることで、つまり、この交響曲は体制批判の意味合いを持つということである。

 

全5楽章からなる交響曲は、すべての楽章でバス独唱と男声合唱が〝バビ・ヤール〟を含む五つの詩を歌い継いでいく。特徴的なのは男声合唱が全てユニゾンで歌われること。ショスタコーヴィチは体制批判を表現するために骨太の男声を採用したのだろうか。書道のように、そして太筆で墨書するかのように、音楽は進んでいった。

 

昨日、井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会でこの〝バビ・ヤール〟の演奏を聴いた。井上道義は今年いっぱいで指揮者を引退すると表明。井上道義の大フィル定期での演奏は今回が最後になる。

 

特筆すべきは、男声合唱に世界最高峰の男声合唱団といわれるスウェーデンの〝オルフェイ・ドレンガー〟を招いていたこと。(総勢60名!)(随分前に〝オルフェイ・ドレンガー〟の来日公演を聴きに行ったことがある。)

巨体から人間離れしたパワーで朗々と歌うロシア人バス歌手と共に最高の布陣での〝バビ・ヤール〟だった。

 

これだけの布陣を敷くには移動・滞在費用も尋常でないはず。声楽陣は井上道義の意向であることは間違いない。彼ほどの指揮者になると〝バビ・ヤール〟演奏のためだけにスウェーデンから〝ドルフェン・ドレンガー〟を呼べるんだ…と、感心してしまった。(後でわかったことだが、井上道義は大フィル定期の前に東京でN響と同じプログラム、同じ布陣で演奏会を開いていた。二つの楽団と各種助成金で費用を賄ったと思われる。)指揮者はプロデューサーでもある、…まざまざと感じた。

 

演奏されることの稀なショスタコーヴィチの〝バビ・ヤール〟。ショスタコーヴィチ演奏に定評のある井上道義の指揮による〝バビ・ヤール〟。

 

忘れられない演奏会になりそうだ。

 

因みに、

ウクライナパレスチナで進行中の悲劇とタイミングを合わせたようなプログラムだが、今回の演奏会の企画はウクライナ戦争勃発より前、数年前から動き出していたとのこと。

 

f:id:kuroyurihaze:20240210231123j:image

# 252 君たちはどう生きるか

【うた詠み】

まどろみは枕の底に沈みたり夢のあとさき掴む能わず

……………………………………………………………

5、6年前だろうか、放課後デイサービスの高校生が「これ、おもしろいで。」と一冊の本を見せてくれた。↓

f:id:kuroyurihaze:20231210204814j:image吉野源三郎著〝君たちはどう生きるか

「えっ、吉野源三郎の?」

子どもの頃、読んだ覚えがあるが随分昔の著作のはず。何故に今?

ほどなく、漫画本として出版されて若者によく読まれていると知った。しばらくして僕も読んでみた。〝コペルくん〟を懐かしく思い出した。やはりあの〝君たちはどう生きるか〟だったが、どうして今、若者たちが共感するのかよくわからなかった。戦前の旧制高校教養主義みたいなものが色濃く出ていて、そこが新鮮に受け取られたのだろうか。少年の悩みに応える〝先生〟が羅針盤のように行き先を示唆すること、そんな〝先生〟のような大人への憧れもあるのだろうか。

 

そして今年、またしても〝君たちはどう生きるか〟、である。↓

f:id:kuroyurihaze:20231210210427j:image宮崎駿監督作品。教養主義的なタイトルとどうとり結んだ映画なのか、ひと月ほど前に観てきた。タイトルは吉野源三郎の著作そのものから来ていることは映画の中で確認できる。亡き母から少年へ贈られた本として登場し、少年が涙ながらに読むシーンが一つの断片として描かれる。

この映画、宮崎監督の人生の中の夢の断片の集積のような作品。夢といっても、まどろみの中で辛うじて掴み取った妄想のような記憶のような断片ばかりだが、人は誰もがまどろみの中の夢の断片のようなもので人生を支えられているような気もする。

映画は〝あの世〟と〝この世〟を少年が往還する物語。〝あの世〟は宮崎監督がまどろみの中で掴んだ断片が散りばめられている。〝この世〟のリアルはアオサギの姿で象徴されるが、まもなくアオサギは変奏を繰り返して物語の舞台まわしとして扱われる。

〝あの世〟は、死後の世界であり、生前の世界でもあり、いのちの原形が時間を超越して〝あの世〟の内側で自由に往還する。亡き母は少女として少年の前に現れ、しかも母として振る舞う。また、母の妹である義母はいのちを授かって妊婦となるのだが、いのちを保ったまま〝あの世〟へ里帰りのような形で出かけていく。少年は義母を〝この世〟へ戻す〝使命感〟をなんだかわからないままにも正しい行いと信じて〝あの世〟への冒険に突入する。

〝あの世〟〝この世〟とは、僕の捉え方だが、宮崎監督の中には仏教的な輪廻の思想があるように感じる。ただし、〝あの世〟は極楽ではなく、もっと不安定で混沌としていて、実際に最後は〝将軍〟(これもアオサギと同様に鳥、オウムの化身)によって崩壊させられる。〝この世〟と〝あの世〟の出入口は無数にあり、少年の開けるべき出入口は、亡き母(少女)によって導かれ、少年は〝いのち〟を抱えた義母を〝この世〟へと連れ帰って物語は終わる。(亡き母にも開けるべき出入口がありその扉から去っていく。それはまた別の世界なのか?)

 

吉野源三郎君たちはどう生きるか〟と直接関連する場面としては、戦争で疎開し転校した学校で〝いじめ〟にあうところか。少年が自傷したり、父が軍需工場で儲けたり、矛盾を提示するところが関係しているかもしれない。

 

 

 

冒頭の【うた詠み】

まどろみは枕の底に沈みたり夢のあとさき掴む能わず

 

短歌としてはいささか自信はないが、まどろみの中に現れる不可解なストーリーや設定の夢の断片を集めれば、自分なりの〝君たちはどう生きるか〟ができるような気もする。

 

 

 

 

 

# 251 ウォークラリー

先日、鈴鹿山系、鎌ヶ岳に登った。以前、入道ヶ岳から見た鎌ヶ岳は北アルプスの槍ケ岳のようでカッコよかった。武平トンネル(三重県側)に駐車して武平峠から稜線を歩く最短コース。強風注意報が発令されていて、稜線では滋賀県側からの風が強くコンディションは悪かった。

f:id:kuroyurihaze:20231128110330j:image山頂直下の岩場は滋賀県側を巻いて山頂へ。御在所岳や雨乞岳、四日市方面、伊勢湾が見渡せて展望を楽しめた。一般コースだが、思いのほか足場が悪い箇所があり少し緊張した。

最短コースをとったので正午には下山、小雨模様だがせっかくなので湯ノ山温泉で日帰り入浴することに。鈴鹿スカイライン沿いにある〝希望荘〟で温泉に浸かった。f:id:kuroyurihaze:20231128112238j:image

〝希望荘〟は40年近く前に勤務していた中学校の宿泊行事で利用した思い出の宿舎。今思うとなかなかアクティブな内容で、メインは二日目、先輩教師が企画した御在所岳登山(裏道から山頂、下山はロープウェイ)で、初日は希望荘で昼食をとった後に山麓を巡るウォークラリーの企画を僕が担当した。

ウォークラリーは、各グループがコース上に何箇所か設けられたチェックポイントでクイズに答え、設定されたペースにできるだけ近い速度で歩く。非公表の設定タイムに近いほど得点が高く、クイズの得点との総合点を競うもの。既存のウォークラリーのコースがあるわけでなく、〝希望荘〟を起点にしたハイキングコースを利用した。そのため、コースの正確な距離を知る必要があったので、下見では〝希望荘〟のスタッフ(支配人?)の瀬古さんが地元の消防署から借りてくれた〝コロコロ測量計〟を使ってコースの総距離を測った。

さて、本番当日。担当の僕は先発してチェックポイントや道標を設置して希望荘に向かっていたのだが、後方から生徒達の声が聞こえてきた。

速すぎる!

設定ペースを無視し勝負を度外視したグループが迫ってきていたのだ。慌てて僕もスピードを上げて〝希望荘〟に到着してゴール係に早変わり。まもなく先頭グループがゴールした。勝負を度外視した数グループ、ゴールを急いだ理由があった。ウォークラリーをゴールしたグループから温泉入浴することにしていたので、ウォークラリーの成績より温泉入浴を優先したグループが現れたのだ。全くの想定外だった。一方で野いちごを食べながらのんびり歩くグループもあり、そんなこんなのウォークラリーは無事終了したのだった。f:id:kuroyurihaze:20231128120659j:image

# 250 思い出の潟分校

昭和49年(1974)に廃校となった秋田県田沢湖町立生保内小学校潟分校、地元民の努力によって修復され〝思い出の潟分校〟として公開されている。

f:id:kuroyurihaze:20231111134631j:image木造校舎は昭和の小学校そのまま。教室には石炭ストーブ、窓の外に伸びる煙突。廊下の窓を通して見える晩秋の景色も昭和そのまま。f:id:kuroyurihaze:20231111135012j:image

こうした木造校舎の景色は僕にとっても無縁ではない。

 

昭和39年(1964)に僕はすべて木造校舎の堺市立南八下小学校に入学した。堺市に合併する前の南八下村の〝村の小学校〟の姿のままだった。すべて木造平屋の校舎と木造の講堂が校庭を取り囲んでいた。講堂はその名の通り、体育館ではなく、集会や式典に使われた。児童急増期には区切られて教室に転用された記憶がある。講堂の舞台奥には戦前に使われた御真影をおさめる場所もあったと思う。校門のそばには例の二宮尊徳像もあった。冬は、〝思い出の潟分校〟と同じように石炭ストーブが使われていた。教室も廊下も板敷で、大掃除の時には油びきをした。

〝思い出の潟分校〟に懐かしいものが。

f:id:kuroyurihaze:20231111141251j:image授業の始まりと終わりに鳴る手動の鈴(チャイム?)南八下小学校でも入学当初は用務員のダイモンさんが鳴らしていた。ダイモンさんは用務員室で犬も飼っていた。なんとものんびりした時代。

南八下小学校の校庭(運動場とは呼ばない。)には校歌にも歌われる栴檀(せんだん)の大木が三本あった。運動会の徒競走用のトラックは栴檀の大木を廻ったように思う。f:id:kuroyurihaze:20231111142511j:image↑南八下校区自治連合会HPから。栴檀の大木の向こうの建物が講堂。

児童急増に伴って南八下小学校は僕が在学中に激変した。隣地の農地に校地拡張され校庭は運動場に、木造校舎も順次取り壊され鉄筋コンクリート校舎になった。校庭の栴檀の大木も伐採された。なぜか僕は栴檀の伐採現場に立ち会っている。課業中ではなかったはずなので、伐採の情報を聞いてわざわざ見に行ったようだ。小学校の象徴でもあった栴檀の木、その最期を見届けた思い出。

 

※秋田山旅、お目当ての秋田駒ヶ岳は登山口までの道がすでに冬季通行止め。観光地も多くは冬支度で閉まっていた。

・一日目:秋田県立美術館、角館武家屋敷

・二日目:玉川温泉、抱返り渓谷

・三日目:乳頭温泉郷ブナ林、田沢湖

f:id:kuroyurihaze:20231111145356j:image
f:id:kuroyurihaze:20231111145353j:image

 

# 249 鈴鹿 竜ヶ岳

鈴鹿の山に少しずつ登ってきた。

御在所岳、御池岳、綿向山、入道ケ岳、藤原岳

この春、藤原岳から見た竜ヶ岳、次はこの山と決めていた。f:id:kuroyurihaze:20231105100218j:image

 

その前に、

藤原岳の麓でヒルの研究をしている子ども達の記録が本になっている。藤原岳に登る前に図書館で借りて読んでいた。f:id:kuroyurihaze:20231105100141j:image

本の宣伝文。↓

〝嫌われ者の「ヤマビル」の研究に
愛をもって取り組む子どもたちが常識に挑む物語。「好奇心が未知の扉を開ける衝撃が満載だ」 山極壽一先生激賞!

各地で増え続けているヤマビル。山だけでなく里でも被害が増えています。知らない間に血を吸う嫌われ者のヤマビル。
そんなヤマビルの生態研究に挑む小中学生がいます!  その名も子どもヤマビル研究会。

彼らは、山でヤマビルの数を数え、ときに自らの血を吸わせて育て、そして、解剖までするのです。そんな彼らが解き明かしてきたヤマビルの生態の数々を紹介します。

そして、「ヤマビルはとてもかわいいいきものです」とまで言い切る、いきいきとした子どもたちの感受性に驚嘆する1冊です。〟

 

さて、

竜ヶ岳の上部の笹原にはシロヤシオの群落があり、開花の季節には〝草原に遊ぶ白い羊の群れ〟に見えるという。

その季節はヤマビルの活動が活発になる時期らしい。〝どうぞわたしの血を吸って下さいな〟という度量は僕にはない。ヤマビル研究の本を読んだせいで、むしろ、ヒルに血を吸われたくない気持ちが増してしまった。

ヒルの忌避剤を製造販売している方が子ども達の研究をサポートしてしていて、その製品がこれ。↓

f:id:kuroyurihaze:20231105101157j:imageヒル下がりのジョニー〟、買ってしまった。

しかし、〝白い子羊の群れ〟の時期は、体調不良や天候の巡りが悪く竜ヶ岳には登れなかった。

 

秋、シロヤシオは紅葉して〝紅い子羊の群れ〟になるという。ヤマビルの活動も止む季節だ。

竜ヶ岳登山を決行。

宇賀渓登山口から登りは遠足尾根をとる。〝遠足〟の気軽さとは無縁の植林の中の急登が連続するコース。植林を抜けるとウバメガシ、アセビなど植生が変化して笹原のたおやかな稜線になる。f:id:kuroyurihaze:20231104121706j:imageシロヤシオの紅葉はすでに終わっている。山頂も広い笹原。休日で大勢の登山者が昼食で寛いでいた。f:id:kuroyurihaze:20231105102515j:image
f:id:kuroyurihaze:20231105102512j:image下山は金山尾根をとる。痩せ尾根の急坂が続き膝が震えてきた。前週の八経ヶ岳で膝痛が悪化し、溜まった水を整形外科で抜いてもらいヒアルロン酸注射の治療が始まっている。なんとか尾根を下りきって、林道をとぼとぼ登山口まで戻った。

 

鈴鹿の山、次は鎌ヶ岳か釈迦ヶ岳かな。