クロユリハゼの休日

やま とり うた みる きく よむ うみ など

# 260 『風神・雷神』

新実徳英作曲、

和太鼓とオルガンとオーケストラのための『風神・雷神』を井上道義の指揮で聴いてきた。 (@ザ・シンフォニーホール

・和太鼓:林英哲

・(パイプ)オルガン:石丸由佳

管弦楽:大阪フィル

f:id:kuroyurihaze:20240406225009j:image

… … …… … … … … … …… … … …

さて、

合唱団(とんだばやし混声)の定期演奏会まで三ヶ月を切った。6月の定期演奏会は作曲家・新実徳英氏をゲストに迎えて、氏の合唱曲をプログラムのメインに据えたプログラム。

合唱組曲『花に寄せて』では、作曲者である新実徳英氏の客演指揮で演奏することになっている。

先週、新実徳英氏を富田林に迎えての特別練習があった。その夜、新実先生を招いて懇親会が開かれ、その席で先生と少し会話を交わす機会があった。

私:「新実先生、先生の器楽曲を聴いたことがないんですが、今度大阪で井上道義さんの指揮で先生の曲を演奏しますね、5月でしたっけ?(演奏会の日も曲名もろくに覚えてない私。)」

先生:「来週だよ!」

私:「えっ、来週でしたか!失礼しました。その日は合唱団の練習日で…」

先生:「練習なんかやめちまえ。」

私:「先生は聴きに行かれるんですか?」

先生:「当然!聴きに行くよ!」

私:「初演の曲ですか?」

先生:「もう20回くらい演奏されてるよ!(井上)道義は5回目かな。」

私:「それはまたまた失礼しました!」

 

失礼なことばかり言ってしまったが、先生はとても気さくな方なので怒ったりはしない。

…ということで、翌日チケットを購入し、今日、『風神・雷神』を聴いてきた次第。

 

和太鼓が雷神を、パイプオルガンが風神を演じ、オケまでフル編成なのでその音量たるや、ザ・シンフォニーホールでも最大級ではなかろうか。これは実演でしか体感できない。(和太鼓のどでかいこと!)

和太鼓は遠雷から超弩級の落雷まで、オルガンはつむじ風から暴風まで、風神・雷神がステージで立ち現れるような構成で、ソリストの衣装も風神・雷神の特注!(だと思う。)ソリスト同士の激しい掛け合いの部分ではソリストのみに紅いスポットが当たり、ステージ照明が落とされた。オルガン奏者は激しく身体をくねらせパイプオルガンの鍵盤をまるで乱打するかのよう…。古代の祭事で祈祷を行う巫女か!(足元に送風機が設置しているらしく、衣装の長い布が風にたなびく。)和太鼓奏者は途中から上半身(背中)のムキムキ筋肉を露出してこれまた神事を司るに相応しい。そう、現代曲を聴いたというより、壮大な神事に立ち会うような曲。

最後はオケメンバーも一体になった気合いのこもった雄叫びで締めくくった。

プロデュース力抜群の井上道義の演出で大いに盛り上がった演奏会だった。

 

そして、

合唱曲で知る新実徳英とは全く異なる一面を見た演奏会でもあったとさ。

 

※合唱団の練習開始には間に合いました。

※一昨年、新日本フィルとの『風神・雷神』がYouTubeに上がっています。

https://m.youtube.com/watch?si=FeV8wtfroLHWEjGT&embeds_referring_euri=https%3A%2F%2Ftokuhideniimi.com%2F&source_ve_path=MTY0OTksMTM5MTE3LDE2NDk5LDI4NjY0LDE2NDUwNg&feature=emb_share&v=bhxMbyP7MPw

 

 

 

 

 

 

# 259 劇団四季と浅利慶太

劇団四季のミュージカル〝バケモノの子〟を観てきた。(@大阪四季劇場)実は、一月にも観たので〝バケモノの子〟は2回目。2回とも、地元出身の青年(合唱団の関わりの中で小学生の時から知っている)が主役(蓮=九太)で出演する日を狙い撃ちで観てきた。

2回目なのでストーリーや展開がわかっていて、1回目には気づかなかった演者の様子やアンサンブルの工夫など、諸々の工夫が見え、テーマも浮き上がってくる。1回目より楽しめて、時間も短く感じた。

とにかく、演者や装置の動きが目まぐるしく、視覚や聴覚に入ってくる情報量がすごく多いし、伝わるメッセージもなかなかのものなので、3回目も行きたくなる、ホントに。海外ミュージカルの移入ではなく、劇団四季オリジナル。舞台が東京渋谷というのも功を奏していると思う。

〝バケモノの子〟の内容についてはさておき、

劇団四季についてちょっと振り返ってみる。

若い頃の記憶は二つ。

大学卒業の年にミュージカル〝コーラスライン〟を観たのが最初。余計な装飾を排したシンプルな舞台、シンプルな進行でダンサーを目指すアメリカの青年の姿を描いた。シンプルに感動した。

就職して、労演の会員だった先輩に誘われてかなり頻繁に新劇を観た。その中のひとつと思うが劇団四季で〝カッコーの巣をこえて〟(日下武史主演)を観た。これはセリフ劇で、まだこの頃は劇団四季は新劇の範疇に入っていたのかもしれない。

その後、労演からも劇団四季からも遠ざかっていった。(単発で井上ひさしが座付き脚本家の〝こまつ座〟などを観ていた)その間にあれよあれよという間に劇団四季は発展し、大都市の一等地に専用劇場を擁するミュージカル主体の巨大劇団に成長していた。

劇団四季創立者のひとり、浅利慶太は劇団発展の中心人物。彼は時の首相中曽根康弘のブレーンの地位に就いてたりしてなんとなく胡散臭い。そのことが僕を劇団四季から遠ざかる心理を働かせたようだ。ひと月ほど前、浅利慶太がどういう人だったのか気になって「劇団四季浅利慶太」という本を読んだ。(文春新書 2002年)f:id:kuroyurihaze:20240329233000j:image

その中で印象に残ったこと。

「役者が役者の仕事だけで食っていける劇団にする。」

その昔(今でも?)、新劇は役者の仕事だけでは生活できないのが普通だったようだ。浅利慶太は様々な上演機会を試行錯誤し経営戦略を追求していた。

芸術集団としても、役者のトレーニング法を構築し組織していく。

「日本語がしっかり伝わる発声法をトレーニングする。」

時に〝四季節〟と揶揄されて憤慨する浅利慶太の姿があったという。この発声法は現在のミュージカルでも活かされているようだ。〝バケモノの子〟を観ても、子役も含めて全ての演者のセリフと歌が聴き取りやすいのだ。

劇団四季はスター主義を採らない。僕はこのことを好ましく思う。芸術集団としての共通メソッドを確立して台詞、歌唱、ダンス等の質を担保し、どの配役でも演者が高い水準を保つことでスター主義に頼らない。経営的にも多数の専用劇場と地方公演を維持することができる。

商業的に成功している劇団四季。新しいレパートリーに莫大な資金を投入しているのは〝バケモノの子〟を観ればよくわかる。

このように、劇団四季のミュージカルを浅利慶太の遺産の継承という視点をもって鑑賞するのもあり、と思う。f:id:kuroyurihaze:20240329235059j:image

 

# 258 〝Y字路〟

【ワーイ★Y字路】展(横尾忠則現代美術館)

2000年から始まった〝Y字路〟をモチーフとした作品群のうち初期作品(〜2005)と最近作(2016〜)で構成された展覧会。

その第1作目、横尾の故郷(西脇市)、通学路でもあった椿坂の夜をインスタントカメラで撮影した写真を絵にした写実的な作品。この作品は初めて観た(と思う)。↓f:id:kuroyurihaze:20240324140223j:image先日のTVで横尾自身がY字路のモチーフについて語っていた。左右に分かれた道の先に消失点が二つあるのが面白く感じたという。昔のTVで漫才師のいとしこいしが「運命の分かれ道」と叫ぶ番組があった。Y字路のモチーフには〝運命〟や〝選択〟といったテーマが内在することが、横尾のライフワークともいえるシリーズに発展したようだ。

先程の場所と同じ場所、2003年の作品。↓f:id:kuroyurihaze:20240324141418j:image横尾は西脇市だけでなく各地のY字路も描くようになり、初期の『内省的な光と闇の世界から、祝祭的な色彩の爆発を経て、さらに変幻自在なバリエーションを生み出しつつ今日に至っています。(解説文から)』

2003年というのは、僕が横尾忠則の展覧会を追い始めたきっかけの年。高松市美術館舟越桂展を観に行った際に、常設展での横尾忠則のポスターと絵のコレクションに心が躍った。以後、Y字路シリーズの作品群に同時代人として接してきた。

横尾忠則の作品の特徴としては〝反復〟〝模写〟〝コラージュ〟がキーワード。Y字路シリーズにも過去何度も取り扱われたモチーフが自在にコラージュされていて、そこが横尾ファンにとっての楽しみのひとつになっている。↓f:id:kuroyurihaze:20240324150414j:image〝Y字路〟は、定型の構図、定型化された制作手順を獲得したうえでシリーズ作品を多産している。『Y字路というモチーフが貪欲なコラージュ表現を受け入れる下地=プラットホームへと変質しつつあることを物語っている。(解説文から)』のだ。f:id:kuroyurihaze:20240324151617j:image

 

先日、87歳の横尾忠則の現在に密着したドキュメンタリー番組を観た。難聴などで五感が鈍り、右手腱鞘炎で運筆ままならず、嘗てのような精緻な描写はできないと。それでも現在の作品群を〝朦朧体〟と名付けて〝できないこと〟も面白がっている様子。毎朝、自宅から自転車でアトリエに通って描き続ける日常を映していた。

番組で紹介されていた本と、同時期に出版された二冊の本を読んだ。f:id:kuroyurihaze:20240324154138j:imageどちらも87歳の横尾忠則の近況や心境を知れる本。どちらも似たような内容だが、『老いと創造』(講談社現代新書)が面白い。〝朦朧人生相談〟ということで、さまざまな悩みや問いに横尾忠則が答えている。…答えているのだけれど、結局、横尾忠則横尾忠則自身のことを語っている。相談に答える形なので、多角的に反復して語っていて、現時点での横尾忠則の考え方をより深く知ることができる。相談ひとつひとつに関連するような横尾作品が、横尾忠則現代美術館のスタッフによって選ばれている。各1ページのカラー図版で紹介されているので、横尾忠則の作品に初めて接する方にもオススメ。

 

f:id:kuroyurihaze:20240324155557j:image

 

#257 コゲラの巣作り(その2)

昨年の夏の終わり、右眼が網膜静脈閉塞症という病気になった。網膜静脈に血栓ができた影響で網膜がむくんでしまい、症状としては画像が歪んでしまう。こんな感じ。↓f:id:kuroyurihaze:20240315233825j:image

眼球に注射を打つために生まれて初めて手術室に入ったのが去年の9月。手術そのものは注射をするだけなので10分ほどで終わった。

効き目は徐々に現れたものの、未だ網膜のむくみは残っている。網膜の視神経というのは正常ならば完璧にきれいに整列しているという。わずかのむくみでも画像は乱れてしまうのだ、

…生命の精妙さよ!

…とはいえ、普段は両目を使っているので左目がかなりカバーして補正をしている。クルマの運転もほぼ支障はない。

困るのは、カメラのファインダーを覗くとき。効き目の右眼の画像が歪んでいるのでピンボケでしか見えない。左目でファインダーを覗こうとしても、無理無理。そもそもカメラのシャッターボタンは右手の指で押す場所にある。左眼が効き目の人はどうしてるんだろう?僕のデジカメは液晶モニターが付いているが、バードウォッチングで鳥の撮影をする時はファインダーの画像(これも液晶)を見てカメラを構えた方が撮影しやすいので困ってしまう。

 

昨日、念の為デジカメを携えて錦織公園でバードウォッチング。まもなく頭上で「コツ、コツ」と木を突く音。コゲラだ。双眼鏡で確認してから、ピンボケファインダーを覗きながら撮影してモニターで確認。f:id:kuroyurihaze:20240316002228j:image

角度を変えて見ると、どうやら巣作りに着手したばかりのコゲラf:id:kuroyurihaze:20240316002417j:imageみるみる丸い巣の入り口が出来てきた。春だなあ…。

 

コゲラが巣作りをしている場所から少し離れた所に、数年前シジュウカラが営巣していた石垣がある。↓f:id:kuroyurihaze:20240316003410j:imageその時は石垣の隙間からヒナ達が大口を開いて盛んに鳴いていて、親鳥♂♀が交互にノンストップ、すごい頻度で虫を取ってきてヒナ達に与えていた。二、三日後だったろうか、もう一度この場所に到着したのが、ヒナ達が巣立ちしたばかりの瞬間だった。親鳥と巣立ちビナの賑やかな鳴き声(お母さんは「こっちに来なさい!」巣立ちビナは「待って、待ってー」)、シャクナゲの枝から枝へとぎこちなくジグザグに飛びながら伝う巣立ちビナの姿に興奮した。

 

バードウォッチングの楽しさは、石垣の隙間やシャクナゲの枝やコゲラの巣穴などの場所やモノが、ひとつひとつ鳥達の思い出と結びつくことだと思う。シジュウカラの巣立ちビナが伝っていたシャクナゲf:id:kuroyurihaze:20240316004954j:image

錦織公園の中だけでも鳥達と結びついた思い出の場所がたくさんある。自分のフィールドに季節ごとにいろんな印が増えていくような感じ。

昨日は二時間余り公園内を巡って、最後に、あのコゲラが巣作りしていた木の様子を見に行った。コゲラはコツコツと木を突き続けて巣穴を作っていた。

二時間余り、休憩なしなんだろうか。

果たしてこの巣穴で営巣するのか、それとも、巣穴としては放棄されるのか、日を改めて確認してみよう。

 

コゲラの巣作り〟2年前の記事が〝その1〟になります。↓

https://kuroyurihaze.hatenablog.com/entry/2022/04/15/232742

 

# 256 〝たまのののののちゃん〟

朝刊を開いてまず見るのが四コマ漫画ののちゃん〟。

ずっと四コマ漫画はスルーしていたのだが、1年ほど前に〝ののちゃん〟の凄さに気づいてからは、いの一番に〝ののちゃん〟だ。

最小限の描線で背景のパーツを構成して空間をつくるセンス、登場人物の表情とセリフの漫才のような掛け合いの絶妙さ、新聞発売日は年中無休でアイデアをを繰り出す継続力、などなど感心することばかり…。

地元の図書館の蔵書検索で著者〝いしいひさいち〟を検索すると、なんと一冊もヒットせず。…そうなのか、残念。

Amazonで〝いしいひさいち〟を検索すると気になる本が3月に発売されていたので購入してみた。

〝たまのののののちゃん〟という岡山で出版された本。f:id:kuroyurihaze:20240309162857j:image

大学生の時の友達が玉野市出身で、いしいひさいちのことを誇らしげに語っていた。…なので、いしいひさいち氏が岡山県玉野市出身ということは知っていた。

この本のメインは〝広報たまの〟に連載されていた〝たまのののののちゃん〟で、作者いしいひさいち氏は「朝日新聞ののちゃんとの重複はありません。」と…。登場人物は朝日新聞ののちゃん〟と同じなのだが、セリフが岡山弁(玉野弁?)だったり、玉野の地元ネタだったりローカル色が強い。

本を買ってしばらくは〝たまの の ののちゃん〟と読んでいたのだが、よく見ると〝たまのの の ののちゃん〟だった。玉野市のパロディ、〝たまのの市〟ということらしい。

この本を読んでからのち、朝日新聞ののちゃん〟を見ると、ちょっとよそよそしい感じがする。

岡山弁(玉野弁?)の〝ののちゃん〟で、作者いしいひさいち氏に一歩お近づきになれた気がするのだった。

〝広報たまの〟の連載は続いているのだろうか。f:id:kuroyurihaze:20240309162905j:image

 

# 255 〝山道〟

〝断捨離〟という言葉は、どこか薄っぺらい響きがして好きではない。

…それはともかく、

思い立って物置き部屋を整理していると、覚えのない〝資料〟がいろいろ出てきた。その中のひとつ。

f:id:kuroyurihaze:20240223135001j:image

小学校の卒業記念品。スクラップブックだ。

最終ページに担任の先生のかなり長文のメッセージがあった。初めて読んだかも…。

パラパラめくると、作文が書かれた原稿用紙やスケッチ、切り絵、読書記録、修学旅行の写真が挟まったり貼られたりしていた。

その中に、岩湧山に登った時の作文(6年生)があった。

  ………………………………………………………

 〝山道〟    6年2組  〇〇 〇

 岩湧山の 帰りの道は、今までになく「山道だなあ。」と思わされた。

 まわりの木を 見上げると きちんと 背の高さが そろい 枝は、自然に 動き 枝の上には、太陽が 小さな玉に 散らばって光っていた。

 道は うぐいす色に 反射して 土の中から 小さな木が 生まれて くるかと 思われるほど 神秘的である。

 この景色を 色にたとえれば、しぶみのある緑色というところである。そしてそこに まぶしい白がところどころ 浮いているのだ。

 山の空気を おもいっきり吸うと むねの中の なにか ひっかかるものが 消え去っていくようで 思いっきり 走りたくなる。

 こんな山道が うらやましい。

  ………………………………………………………

岩湧山に小学校の時に登っていたとは。遠足だろうか。作文も全く記憶がなかったので新鮮。f:id:kuroyurihaze:20240223140654j:image

 

↓ 友達の顔だろうか。

f:id:kuroyurihaze:20240223140737j:image

 

 

 

 

 

# 254 世界のオザワ

小澤征爾さんが亡くなった。

指揮者の山田和樹がTVや新聞のインタビューを受けてコメントを寄せていた。 

「指揮は、自分の呼吸がオーケストラに伝わることが大事。(小澤さんの指揮は)いかに共感を産み、息づかいとかイマジネーション、同じ一つの呼吸を全員が共有できるかに収斂されていたと思う。」

「一人一人の極限の力を引き出す才能、動物的才能がすごかった。」

「あれだけのパワー、エネルギーを出し続けた人だから、お疲れさま、ゆっくりして。」

「…だけれども、願わくば、亡くなってからも我々を叱咤激励し続けてほしい。」

f:id:kuroyurihaze:20240214225849j:image

その日、読売日本交響楽団の演奏会だった山田和樹。プログラムの前半を終えた休憩時間に訃報を伝えられたという。

「悲しみの中で演奏会をするのは先生の望みではない。音楽は楽しいものとして、共有したい。黙禱はしない」「本日の演奏を先生に捧げさせて頂きたいと思う。」

 

 

今日、その山田和樹指揮の読売日本交響楽団、大阪定期演奏会に行ってきた。(フェスティバルホール

シュトラウス交響詩 ドン・ファン

ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」

・フランク「交響曲 二短調

f:id:kuroyurihaze:20240214214343j:image

山田和樹の指揮は観客にとっても情報量がとても多い。曲想の変容、各楽器の役割、ダイナミクス、緩急の変化などなど、スコアに書かれていることを指揮者がどのように掴もうとしているかが客席から見える指揮。指揮者の呼吸とオーケストラの呼吸が協応し合うさまが見えるという点で、小澤征爾の指揮と通ずる気がする。

 

山田和樹小澤征爾と同じくブザンソン指揮者コンクールに優勝した。その時、僕は〝オザワ〟の再来を〝ヤマダ〟に夢想した。とんだばやし混声合唱団が山田和樹の指揮で東京混声合唱団と共演したのは、彼がブザンソンで優勝する以前のこと。その後の彼が欧米の名門オーケストラで次々とデビューしていく姿を〝世界のオザワ〟のストーリーに重ねて〝推し〟ていくことになる。

 

再び小澤征爾。半世紀もの間に、〝ボクの音楽武者修行〟を読み、TV〝オーケストラがやってきた〟や〝サイトウ・キネン・オーケストラ〟などの音楽番組を観て小澤征爾と同時代を生きてきた。コンサートにも、三度だけではあるが足を運び実演に接してきた。小澤征爾の指揮は映像の記憶として残っていくと思う。

 

※僕が接した小澤征爾指揮の演奏会。

:メイン曲。

①大阪フィル

チャイコフスキー 交響曲第5番

大フィルが燃えに燃えた。30年以上前。これ以降大フィルに客演していない。

 

ボストン交響楽団

バルトーク 管弦楽のための協奏曲

こういう曲を小澤征爾で聴きたかった。カッコよかった。

 

ボストン交響楽団

マーラー 交響曲第2番〝復活〟

少し精彩さを欠いていた印象。声楽を含むこんな大曲も暗譜で振る小澤さん。きっとドイツ語の歌詞も全部頭に入ってるんだろうな。(!)