三澤厚彦という方の個展。予備知識なしに観に行った。
立体作品ということは分かっていたが、木彫作品のイメージがなかったので意表をつかれた。木彫作品では舟越桂の人物像は最初に見た時から心を揺さぶられ、何度も個展に通った。
舟越は人物の木彫、三澤が動物の木彫作品。随分違うなあというのが最初の印象。
三澤の作品には心を揺さぶられることはない、…というか何か見えないバリアの層がまとわりついていて心が突き放されるような感覚がある。何かプラスチック的。だから意表をつかれたのだ、木彫であることに。
でも、似ているところもある。
〝眼〟だ。…というか〝眼〟の扱いかた。
仏像にも木彫が数多くある。仏像も人物像として見たとき、仏像とは〝眼〟の扱いが決定的に異なる。
舟越の人物像の〝眼〟は、遠くを見るようでいて内面を視ている。あえて外に焦点を合わせようとしない、そのような役割を担っている。
三澤の動物の〝眼〟は観る人の感情移入を遮断する役割が与えられている。目玉の位置がどれも定位置を外している。そういう〝眼〟の扱いなのだ。
今回は太陽光で彫刻作品を観るスペースがあった。ANIMALを観るに相応しい。
美術館が高層ビルのスペースを利用していることにあらためて気づけて新鮮だった。
※三澤厚彦の木彫の材は、樟(くすのき)だそう。樟脳の匂いがするらしい。ちょっとマスクを外して匂ってみたかった。