クロユリハゼの休日

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# 261 〝便所掃除〟

昨年の夏、スウェーデンに滞在した折、一度だけストックホルムで公衆トイレを利用した。地下鉄の駅にはそもそもトイレがないらしく、駅前広場に公衆トイレを見つけて入った。これが、表現するのが憚れるほど汚い。利用者のマナーの悪さと掃除が行き届いていないことの相乗効果で〝目も当てられない〟とはこのことだ。

そんな折、思い出したのは〝便所掃除〟という詩。国鉄職員だった濱口國男という方が書いた詩で1955年にこの詩で国鉄詩人賞をとっている。

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〝便所掃除〟


扉をあけます

頭のしんまでくさくなります

まともに見ることが出来ません

神経までしびれる悲しいよごしかたです

澄んだ夜明けの空気もくさくします

掃除がいっぺんにいやになります

むかつくようなババ糞がかけてあります

 

どうして落着いてしてくれないのでしょう

けつの穴でも曲がっているのでしょう

それともよっぽどあわてたのでしょう

おこったところで美しくなりません

美しくするのが僕らの務めです

美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

 

くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます

静かに水を流します

ババ糞におそるおそる箒をあてます

ポトン ポトン 便壺に落ちます

ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します

落とすたびに糞がはね上がって弱ります

 

かわいた糞はなかなかとれません

たわしに砂をつけます

手を突き入れて磨きます

汚水が顔にかかります

くちびるにもつきます

そんな事にかまっていられません

ゴリゴリ美しくするのが目的です

その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします

大きな性器も落とします

 

朝風が壺から顔をなぜ上げます

心も糞になれて来ます

水を流します

心に しみた臭みを流すほど 流します

雑巾でふきます

キンカクシのうらまで丁寧にふきます

社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

 

もう一度水をかけます

雑巾で仕上げをいたします

クレゾール液をまきます

白い乳液から新鮮な一瞬が流れます

静かな うれしい気持ちですわってみます

朝の光が便器に反射します

クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

 

便所を美しくする娘は

美しい子供をうむ といった母を思い出します

僕は男です

美しい妻に会えるかも知れません

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昔は水洗トイレではなかった。洋式便座もなかった。今とは随分様子が違う。

この詩を知ったのは、おそらく、〝詩の中にめざめる日本〟(真壁仁編 岩波新書 1966年)。読んだのは中学生の頃だと思う。f:id:kuroyurihaze:20240427180834j:imageその後、教師になってから読んだ〝詩のこころを読む〟(茨木のり子編 岩波ジュニア新書 1979年)にも収録されている。〝便所掃除〟のページに折り込みが入っているので生徒達にも紹介したかもしれない。

昨年末、BSテレ東で〝寅さん〟の映画を何げに観ていたら、突然、この詩が出てきた。マドンナ役の伊藤蘭が通う定時制高校の授業で、先生役の松村達夫が〝便所掃除〟の朗読を始めたのだ。たぶん全文を朗読したのでかなり長いシーン。途中で生徒達がキャハハハと反応しつつも、淡々と朗読する松村達夫。(松村達夫が渋い!)山田洋次らしいシーンだなあと思った。

その頃には、役所広司主演の〝PERFECT DAYS〟(ヴィム・ヴェンダース監督)が話題になっていた。東京・渋谷の公衆トイレの清掃をする男が主人公だという。〝便所掃除〟の詩のような映画だろうか、興味を持った。

年が明けて2月のある日、〝PERFECT DAYS〟を観に行った。

この映画の渋谷の公衆トイレのシーンはあくまでも清潔だ。観ていて不快な場面は一つもない。(# 245〝せかいのおきく〟とは対照的)主人公の日常、ルーティンが丁寧に描かれている。時折、ルーティンに波風を立てる出来事が起きるが、あくまでも基本は堅固な日常のルーティーン。目覚めのきっかけも出勤時の缶コーヒーも帰り道に立ち寄る店も、就寝前の文庫本読書も休日のコインランドリーも常に同じ。トイレ清掃の仕事も、もちろんルーティンのひとつ。この映画の素敵なのは、主人公が昼休憩(神社の境内?)で空を見上げて木漏れ日をカメラで撮影すること。週末ごとに現像に出して、同時に仕上がった木漏れ日の写真を持ち帰る。家に帰って写真を選別してボツになった写真を破り捨てるのもルーティン。日常生活の中にちょこっと素敵なことが埋め込まれている。

人生というのは日常のルーティンが基本で、その中にちょっと素敵なルーティンがあればいいなあ、と思わされる映画だった。