クロユリハゼの休日

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#80「個」の判断、「個」のつながり

ETV特集「羽仁進の世界」の中のエピソード。少年羽仁進の家の水槽にオオサンショウウオがいた。(何処からかの贈り物らしい。)少年はある日、オオサンショウウオを抱きかかえて近くの池まで歩いて行き、その池に放した。オオサンショウウオは自由に泳ぎ、動きまわり、そして上陸し、再び少年羽仁進の胸に抱かれにきたという。

羽仁進は言う。〝こういう生き物だって「個」の判断があるんじゃないか。〟〝僕も種類の違う人間だけど「個」として判断している。〟〝「個」同士のつながりってものがあるんだなと思った。〟と。f:id:kuroyurihaze:20200511173744j:image

ちょうど読み終えたばかりの本に、同じような場面があった。

トム・ミッチェル著『人生を変えてくれたペンギン』

著者が若かりし時、ウルグアイの海岸にペンギンの群れが死体として打ち上げられていた。石油の流出で油まみれになって息絶えていたのだ。その中に一羽、生きたペンギンを見つけた著者は救出を試みる。だが著者を敵と見做すペンギンは激しく怒り抵抗する。何とか家に連れ帰り浴槽で油を落とそうと洗う。噛みつかれ負傷しながらなおも洗い続けた。すると、ある瞬間から著者を敵と見なさなくなり、ペンギンは洗われることを受け入る。それだけでなく著者を、そして、著者を取り巻く全ての人間を受け入れ〝友達〟となる、というノンフィクションの物語。上の場面は、この本の冒頭部分だが、著者もペンギンも、「個」の判断をしてその結果、「個」のつながりをもった。本の後半で、ペンギンを学校のプールで泳がせる場面も出てくる。f:id:kuroyurihaze:20200511210145j:image

羽仁進のオオサンショウウオの場合と共通項を発見した気がして、なんだかうれしい今日一日、だった。