クロユリハゼの休日

やま とり うた みる きく よむ うみ など

# 245 せかいのおきく

f:id:kuroyurihaze:20231020202520j:image淡野史良著「人間らしく生きるなら江戸庶民の知恵に学べ」(河出書房新社2000年)の最後の方に江戸の屎尿(うんこ・おしっこ)事情について記述がある。屎尿は周辺の農村の畑に施される肥料として経済的価値が高かった。故に、屎尿は高値で取引されていたという。屎尿にもランクがあり、江戸城武家屋敷のトイレの屎尿は高く、最低は囚人牢の屎尿。やはり、食事が豊かな人の屎尿は農作物の育ちも良く、ブランド力が強かったという。そして、屎尿を買って農家に売る屎尿流通に関わる職業もあったのだ。ちなみに、長屋の共同トイレの屎尿は大家が権利を持っていて、屎尿売却よって得られる収入は家賃収入の額に匹敵したという。

屎尿の流通を通じて関係を結んだ武家と農家の間で縁談が成立したといううろ覚えの知識が僕にはあるのだが、この本にその記述はなかった。また別のところで得た知識のようだ。

このような知識から、映画「せかいのおきく」に興味を持って上映会に行ってきた。(すばるホール

 

阪本順治監督の映画「せかいのおきく」はこうした仕事(屎尿の収集・運搬・売却)をする〝汚穢屋〟の青年と元武家の娘で今や没落した長屋住まいの〝おきく〟を中心に展開する物語。〝おきく〟を黒木華が演じている。〝汚穢屋〟の青年〝ちゅうじ〟は、〝おきく〟の長屋に出入りする業者として知り合うわけだ。

この映画、大半がモノクロ映像だが、とにかく屎尿映像の場面が多いので好みが分かれるかもしれない。〝おきく〟は声を失うので台詞が途中からなくなる事もあるが、映画全編、どの役者も台詞は簡潔。物語の展開や音楽も抑制が効いて淡々としていた。また、長屋暮らしの人々の生活がリアルで面白い。鑑賞者は、うんこ・おしっこを介して江戸の人々の日常や制度を見る視点を与えられると思う。

 

阪本順治監督は堺出身。高校の1学年下の同窓なので何かと気になる存在だ。

 

さて、

屎尿が肥料として使われるというのは、僕らの世代までは馴染みがある。小学生の頃、学校への通学路は田んぼの中の細い地道で、道のそばには屎尿を溜めた〝のつぼ〟がいくつもあった。家畜はすでに使われていなかったので、おそらく人糞を溜めたものだったろう(?)。通学路の思い出は〝のつぼ〟から放たれる臭いとともにある。

 

祖父母の家の庭の木の陰には大きな甕が埋められていた。実際に見たことはないが、祖母は時々そこで用を足していたらしい。母から聞いた記憶があるのでたしかだ。人間の屎尿を肥料として使うのは当たり前だったのだ。

 

映画でいくら屎尿の場面があるとはいえ、〝臭い〟はない。あたりまえだけれど…。

以前、沖縄のひめゆり学徒の生存者の話を聞き取る記録映画で生存者が語っていたことを思い出した。ひめゆり学徒の悲劇は何度か映画化されているが映画には〝臭いはない〟。野戦病院となった壕(ガマ)の中は、凄まじい悪臭だったと。化膿した傷口、腐敗した遺体、屎尿の臭いなどが混じり合った臭いだろうか。

 

水洗トイレが普及して清潔、衛生的となった現代日本社会。屎尿は下水道を流れ浄化処理される。

うんこ・おしっこのリアルを考えさせられた〝せかいのおきく〟映画会だった。