クロユリハゼの休日

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# 171 上赤阪城址 @千早赤阪村

大阪府唯一の村は楠木正成ゆかりの地。

楠公生誕の地には郷土資料館や道の駅があり、今日はそこから金剛山へのロングコース。(赤阪古道:桐山・ニ河原辺道)

コース周辺に、楠木正成が築いた山城や要塞群があり、鎌倉幕府軍との戦いは〝太平記〟に記されている。

出発が遅くなり、ルート序盤で上赤阪城址に立ち寄るべきか迷ったが、折角なので本丸跡に登った。数年前に来た時と一変していて、長辺100m余りの本丸の台地、北側周辺の樹木はきれいに伐採されていた。国史跡の石柱が移築されベンチなどが整備されている。

標高340m。展望がすばらしい。f:id:kuroyurihaze:20210221205633j:image

ちょうど整備をされていた作業姿のおじさんに、〝すばらしい景色ですね。〟と挨拶をしてお話を始めると、嬉しそうに名刺を差し出された。

 

千早赤阪楠公史跡保存会の理事長。

 

理事長自らチェンソーや草刈り機をここまで上げてこまめに整備を続けておられる。この展望も保存会の活動の成果なのだ。

 

上赤阪城の構造や、眼下の下赤阪城から尾根上の要塞や千早城、国見城の配置の戦略性、正成の歴史的役割など、太平記のエピソードを交えながら郷土愛熱く語る理事長。

実際にこの山城跡から南河内一帯を展望しながらお話を聞いていると、時空を超えて幕府を迎え討つ正成軍のリアルを感じる。

結局、本丸跡で30分ほどお話を聞いただろうか。スルーして山頂を目指していたら、この出会いはなかった。

 

…………………………………

今回の登山コース、荒廃した赤阪古道を整備復活させたのも史跡保存会の活動かと理事長に質問したら、そうではなく、別のグループ。

金剛山千早赤阪倶楽部。

この倶楽部が水分登山口に案内板を設置していた。f:id:kuroyurihaze:20210221210853j:image

 

今日は、登りに上赤阪城址、坊領山を経て青崩道(北尾根)に合流するルート、下りはもうひとつ北側の尾根、屏風坂から鞍取坂を経て建水分神社に至るルートを辿る計画だ。

 

f:id:kuroyurihaze:20210221211802j:image北尾根と合流し、黒栂谷道と合流する地点〝セト〟(標高880m)で既に午後2時半。山の日暮れは早い。山頂はあきらめてここから計画したルートを引き返した。

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           [行動時間6時間]

 

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