クロユリハゼの休日

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#227 異形の者

先日、劇団四季のミュージカル〝ノートルダムの鐘〟を観てきた。

f:id:kuroyurihaze:20230328224903j:image以前に観た〝オペラ座の怪人〟もそうだが、主人公は〝異形の者〟だ。欧米では、ディズニーもそうだが、〝異形の者〟が主人公のケースが多いように感じる。そのことに常々、ちょっと違和感があった。魔物、妖怪、怪物、バケモノ…。外面的には〝異形の者〟の内面にある人間性を描くようなストーリーに。その外面の描き方に、ハンディキャップをもつ人への配慮が何かしら欠けていないかと…。〝ノートルダムの鐘〟の主人公の姿を見て、心身に障がいや傷をもつ人はどんな感情を抱くのか…、ちょっと考えてしまう。(劇団四季のパフォーマンスは文句なく素晴らしい、もちろん。)(〝ノートルダムの鐘〟は最後の場面でカタルシスが設定されている。演出家は僕と同じような問題意識をもっていたのだろうか。)

さて、〝異形の者〟という言葉について…。

どうしてこの言葉が浮かんできたのか、そちらも気になりだした。世の中には抜群の記憶力をもつ人がいるが、僕は全然そうではない。…とはいえ、昔のことはすっかり忘れているようでも、記憶の欠片が徐々にではあるが芋づる式に現れてくることがある。不思議である。

こんな具合に…。

〝異形の者〟→タイトル?→小説?→お坊さんが出てくる?→お坊さん♾小説家?→武田…?→武田泰淳!→(ネットで確認)

武田泰淳の短編〝異形の者〟を、昔、読んだことを思い出した。曖昧な記憶がはっきりすると気持ち良い。記憶の川を辿って源泉にたどり着いたようで、妙に達成感がある。

これって老化現象かな…?

今のうちにいろいろ記憶を辿っておこう、っと。