小澤征爾さんが亡くなった。
指揮者の山田和樹がTVや新聞のインタビューを受けてコメントを寄せていた。
「指揮は、自分の呼吸がオーケストラに伝わることが大事。(小澤さんの指揮は)いかに共感を産み、息づかいとかイマジネーション、同じ一つの呼吸を全員が共有できるかに収斂されていたと思う。」
「一人一人の極限の力を引き出す才能、動物的才能がすごかった。」
「あれだけのパワー、エネルギーを出し続けた人だから、お疲れさま、ゆっくりして。」
「…だけれども、願わくば、亡くなってからも我々を叱咤激励し続けてほしい。」
その日、読売日本交響楽団の演奏会だった山田和樹。プログラムの前半を終えた休憩時間に訃報を伝えられたという。
「悲しみの中で演奏会をするのは先生の望みではない。音楽は楽しいものとして、共有したい。黙禱はしない」「本日の演奏を先生に捧げさせて頂きたいと思う。」
今日、その山田和樹指揮の読売日本交響楽団、大阪定期演奏会に行ってきた。(フェスティバルホール)
・ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」
山田和樹の指揮は観客にとっても情報量がとても多い。曲想の変容、各楽器の役割、ダイナミクス、緩急の変化などなど、スコアに書かれていることを指揮者がどのように掴もうとしているかが客席から見える指揮。指揮者の呼吸とオーケストラの呼吸が協応し合うさまが見えるという点で、小澤征爾の指揮と通ずる気がする。
山田和樹は小澤征爾と同じくブザンソン指揮者コンクールに優勝した。その時、僕は〝オザワ〟の再来を〝ヤマダ〟に夢想した。とんだばやし混声合唱団が山田和樹の指揮で東京混声合唱団と共演したのは、彼がブザンソンで優勝する以前のこと。その後の彼が欧米の名門オーケストラで次々とデビューしていく姿を〝世界のオザワ〟のストーリーに重ねて〝推し〟ていくことになる。
再び小澤征爾。半世紀もの間に、〝ボクの音楽武者修行〟を読み、TV〝オーケストラがやってきた〟や〝サイトウ・キネン・オーケストラ〟などの音楽番組を観て小澤征爾と同時代を生きてきた。コンサートにも、三度だけではあるが足を運び実演に接してきた。小澤征爾の指揮は映像の記憶として残っていくと思う。
※僕が接した小澤征爾指揮の演奏会。
:メイン曲。
①大阪フィル
大フィルが燃えに燃えた。30年以上前。これ以降大フィルに客演していない。
こういう曲を小澤征爾で聴きたかった。カッコよかった。
少し精彩さを欠いていた印象。声楽を含むこんな大曲も暗譜で振る小澤さん。きっとドイツ語の歌詞も全部頭に入ってるんだろうな。(!)