クロユリハゼの休日

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#197 いつも心に水納島

f:id:kuroyurihaze:20211107172231j:image沖縄の離島、 水納島(みんなじま)のダイビングショップ〝クロワッサンアイランド〟が今シーズンで営業終了の告知をしていた。f:id:kuroyurihaze:20211107172243p:image

〝クロワッサンアイランド〟は、ともに琉球大学ダイビングクラブ出身のご夫婦(植田智士さん、植田正恵さん)がこの離島に移住されて経営されていた。僕は2001年にこのご夫婦だけの零細ショップで講習を受けてスキューバダイビングを始めた。講習は正恵さんがマンツーマンで座学と実習を指導してくれた。ご夫婦とも海に出られている間の自習(留守番⁉︎)時間に島の散歩をしたり、のんびりした講習だった。

晴れて講習に合格して、水納島でファンダイビングデビューして20年。この間、水納島には計13回訪れている。たいていは三泊四日で、二軒ある島の民宿は一泊二食付きでも5千円ほど。毎夜、植田さん宅で他のゲストとともに泡盛を飲みながらする〝ゆんたく〟が楽しかった。個性豊かな常連のゲストが多くて、植田夫妻の名ホストで深夜まで話がはずんだ。

移住前は、たしか、智士さんは海洋関係の出版社、正恵さんは東京の水族館に勤務されていて、海の生物にすごく詳しかった。お二人とも名ガイド、そして、少人数のダイビングに徹されていたので、一人客の僕はマンツーマンでガイドしてもらうことが多かった。

↓100本目 記念撮影。砂地の一本サンゴに、他のゲストがZEROをふたつ作ってくれている。f:id:kuroyurihaze:20211107172526j:image

〝いつも心に水納島〟はクロワッサンアイランドのキャッチフレーズ。実際、この二十年、水納島と植田夫妻の存在はいつも僕の心のどこかにあった。僕は、どういうわけか台風とバッティングすることが多く、飛行機や連絡船の欠航で島に辿り着けないことが多かった。植田さんからは〝嵐を呼ぶ男〟の異名をつけられて、他の常連客にも有名になってしまった。

ここ数年、ダイビングは年に一回の水納島だけだった。コロナ禍が収まったらまた水納島へと思っていたので、やはりさびしい。

 

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f:id:kuroyurihaze:20211107175440j:image※カメ、アヒル、オウム、メダカ、など生き物を飼っておられる。一度、アヒルを賞味させていただいた。

水納島は、2001年には水納小中学校に数人の児童生徒がいて、学校の先生も入れて人口50人あまりの島だった。島のおじいおばあ達の話は方言がきつくて理解できなかった。今は、子どもがいなくなった学校は休校。令和3年の住民基本台帳では人口21人となっている。

https://www.croissant-island.com/yuntaku/yuntaku211.html