クロユリハゼの休日

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# 170 〝壺屋の女〟儀間比呂志

f:id:kuroyurihaze:20210219091259j:image内装を変えた我が家のトイレに飾る版画にと、儀間比呂志の作品を購入した。壺屋は那覇市内の焼物(やちむん)のまち。

儀間さんは沖縄出身だが、戦後、大阪に出てこられた。知る限り、晩年は大阪狭山市に住まわれた。大阪に住まわれてはいるが、沖縄をテーマにした版画をつくり続ける方として随分昔からお名前も作品も存じ上げている。

 

2016年の春、職場に儀間姓の若者が着任したので、「儀間比呂志って知ってる?」と尋ねると、「ぼくのおじいちゃんです。」

 

これも何かの縁、早速、儀間比呂志さんの版画を購入した。もちろん、とても気に入ったから。f:id:kuroyurihaze:20210219004027j:image〝ふたり〟と自筆のタイトルがついている。我が家の玄関を入ったところ、真正面に飾っている。

 

その後、版画集〝儀間比呂志の沖縄〟も購入した。版画だけでなく儀間さんの文章や解説を読むことで、その人生やお人柄を知り、より近しい存在になった。

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その翌年(2017年)に儀間比呂志さんは亡くなられた。享年94歳。儀間さんは大阪より沖縄で有名な方。沖縄の新聞はその逝去を大きく報じていた。f:id:kuroyurihaze:20210219092815j:image

 

2018年には沖縄県立美術館で開かれた追悼展覧会に、旅の合間に立ち寄った。また、大阪狭山市立命館大学所蔵の作品が来たときも見に行っている。

 

 

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儀間比呂志の沖縄〟(1994年)

      〜あとがきから〜

…私は、沖縄に生まれた。

戦後、軍隊から大阪に復員して44年…。この地で絵を学び、絵を描いてきた。油絵、水彩画、木彫と、いろいろやってきたが、木版画が一番多い。表現内容は、すべて「沖縄」がテーマだ。それほど私には、ふるさと・沖縄について語らなければならないことが、たくさんあったのである…。

 

 

 

 

# 169 return to forever

またまた訃報を見て…。

 

チック・コリア

 

さて、このジャス・ピアニストのレコードといえば…。

 

まず、レコードジャケットの映像が蘇る。

エメラルドグリーンの海面上にカモメが滑空する。

 

一枚しか思い出せない。たぶん、購入したレコードはこの一枚だけ。

 

アルバム名もすぐ思い出した。

リターン・トゥ・フォーエヴァー

 

スマホで検索してみる。

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そうそう、このレコードジャケット。

1972年ということは、中学三年か、高校生になったばかりの頃。このアルバム、当時、かなり話題になった。

 

…で、この鳥って、カモメ?

カモメじゃないような…。翼長が長すぎるような…。カモメって、こんなシルエット?

 

ミズナギドリ?

 

鳥名はともかく。

 

どんな音楽だったか?

メロディーがひとつも蘇ってこない。

 

スマホで再生して聴いてみる。

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埋もれていたタイムカプセルを開けてみるように…。

 

…蘇る、徐々に。

 

アルバムをニ巡、三巡、…。

  すっかり蘇った。

 

不思議。

しかも、わくわくする。

 

チック・コリアはエレピ(電子ピアノ)。

それにフルートやサックスがからむ。

ヴォーカルさえも加わって。

ドラムス、パーカッション、ベース…。

ラテンのリズム、雰囲気が…心地よし。

 

こんなに驚きが連続する演奏だったとは。

 

チック・コリアとその仲間たち。

 

Return  to Forever          !!

 

 

 

 

 

 

# 168 ぼくらの広場

枚岡公園から生駒山へ。

登りは枚岡神社の奥宮がある神津嶽コースをとった。自然林の中、このコース、思いのほか立派な大木が多い。今日は暖かい日和でトカゲがゴソゴソ顔を見せるほど。ぼくは途中からTシャツで行動した。f:id:kuroyurihaze:20210214191550j:image

府営なるかわ園地の域内を突き抜けて大阪・奈良県境のピークに達すると、〝ぼくらの広場〟と名づけられた展望広場。大阪市内のビル群から大阪湾、遠くは明石海峡まで。ぐるりは、六甲から金剛山まで申し分なしの展望。都会を見下ろしながら昼食をとるのも良いなあ。

広場の東側では、大和盆地から台高・大峰まで見通せる。

 

それにしても、〝ぼくらの広場〟というネーミング、大阪弁では似合わない。標準語のイントネーションで呼びたくなる。

 

ベンチに座って大都会の展望を楽しんでいると、西の空、向こうからタカが真っ直ぐ羽ばたいて飛んできた。そして羽をひろげたまま滑空して真上を通り過ぎた。ノスリ、だ。

 

かっこいい。

 

…と、

振り返ると、広場の一角に立つ送電鉄塔のてっぺんにとまった。f:id:kuroyurihaze:20210214201109j:image

双眼鏡でノスリの姿を確認する。ぐるりを見下ろしながらてっぺんに立つノスリ

 

ありがとう。f:id:kuroyurihaze:20210214191725j:image

 

ノスリの姿を堪能してから、県境尾根を辿って山頂に向かった。途中、くらがり峠(暗峠)は歴史を感じる石畳の狭い道。これでも国道308号線だ。

 

生駒山頂、遊園地からは若草山東大寺大仏殿を確認して下山を始めた、下山は摂河泉コースをとる。府営ぬかた園地を通り抜けて、気持ちの良い尾根道をスイセンが咲く枚岡公園まで下った。

 

          [行動時間6時間]

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f:id:kuroyurihaze:20210214192907j:imagef:id:kuroyurihaze:20210214202211j:image
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# 167 十五歳の東京大空襲

訃報がきっかけ。

半藤一利さん。

立て続けに追悼ニュース、追悼特番をTVで観た。

以前、ご健在の頃のTV番組で、〝昭和史〟を若い編集者などに講義するに至った経緯を話されていた。(半藤さんは文藝春秋社の元編集者。)

すごく楽しい〝授業〟だったらしい。

それが、著書〝昭和史〟になったと。書店で手に取ったものの、読まずじまい。

 

追悼番組で印象に残ったこと。

半藤さんは〝絶対〟という言葉を使わない。戦中の日本、〝日本は絶対勝つ〟〝軍は絶対に間違えない〟。半藤さんは、安易な〝絶対〟を許さない。(戦後だって、絶対安全なはずの原発が事故、じゃないか。)体験者や原資料に徹底して取材した事実から、〝絶対〟の嘘をコツコツと解していく手法で昭和史を書き続けた。

 

その半藤さんが、自身の戦争体験を晩年になって語りはじめたという。そして、子ども向けの絵本で初めて〝絶対〟を使ったとも。

 

戦争は〝ぜったい〟にしてはいけない。

 

その、自身の戦争体験とは、東京大空襲

その時の様子をTV番組で語る半藤さんが特に印象に残った。

 

(半藤さんの絶筆となる文章が収録されている最後の著書が来週発売されるというので、一昨日、予約した。)

 

…そして。

 

昨日、たまたま、職場に置いてある高校現代国語の教科書をめくっていたら…。

教科書の教材の最後が半藤さんの文章だった。

 

〝十五歳の東京大空襲

f:id:kuroyurihaze:20210213012238j:imageまさに、TV番組で語っておられた壮絶な戦争体験、そのものの文章だった。

 

不思議なめぐり合わせ。

 

でも、こういうことはよくある。

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よくあるんだよなあ、実に。

 

# 166 ソロ・バードウォッチング

f:id:kuroyurihaze:20210211151842j:imageコロナ禍で、ソロ・キャンプが流行っているそうだ。

日本野鳥の会大阪支部の機関紙〝むくどり通信〟最新号の特集は〝ソロ・バードウォッチングのすすめ〟。密を避けて、ソロで味わおう。f:id:kuroyurihaze:20210211153747j:image

 

 

…で、今日は錦織公園でソロ・バードウォッチング。

 

じゅんさい池でカワセミ。何回か池にダイビングして観察者を楽しませてくれた。f:id:kuroyurihaze:20210211151754j:imageそこへ突然ルリビタキf:id:kuroyurihaze:20210211152210j:image♀か♂若鳥か?ワンチャンスで撮影、すぐに林の中に去っていった。

 

メジロカワラヒワの活動が活発。カワラヒワが他の鳥を追っ払って、黒い実のなる木で食餌中、案外、強い。f:id:kuroyurihaze:20210211152514j:image

近くにエナガの群れが…。

これも、かろうじてワンショット。何かくわえている。f:id:kuroyurihaze:20210211152809j:image

あちこちでシロハラがガサゴソと落ち葉をひっくり返している。f:id:kuroyurihaze:20210211153234j:image

 

奧ノ池ではキンクロハジロが羽繕いしながら休憩中。f:id:kuroyurihaze:20210211152946j:image

河内の里の畑でハクセキレイf:id:kuroyurihaze:20210211153113j:imageなぜかイソヒヨドリ♀も現れた。f:id:kuroyurihaze:20210211153933j:image

 

            [行動時間3時間]

 

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# 165 高見山頂 エビの尻尾

下の3枚の写真、高見山山頂のすぐ北側で撮影したもの。

①2017年1月15日f:id:kuroyurihaze:20210207195701j:image

②2019年1月17日f:id:kuroyurihaze:20210207195914j:image

③今日f:id:kuroyurihaze:20210207200310j:image

樹氷の季節だというのに、今日はまったく雪がなかった。雪のない冬の高見山山頂はこういう景色なのか、ふ〜む。

写真ではわからないが、この尾根、体がよろけるほどの強風はいつも通り。

寒い。

 

写真を見て初めて気づいた。

エビの尻尾は、風上に向かってのびるということに…。

 

 

 

山頂で撮った木の姿。↓f:id:kuroyurihaze:20210207201350j:image風雪の影響だろう、ありえないほど枝がぐにゃぐにゃ。回転して枝同士が絡み合っている。

 

樹氷が着いたら、どんな姿なんだろう。

 

         [行動時間5時間半]

 

# 164 堺野鳥の会

2/5朝刊に、堺野鳥の会の記事が。

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野鳥の会は、フィールドで観察された鳥を5年ごとに目録として発行している。今回6回目の発行で、その紹介記事。

 

バードウォッチング初心者の頃、僕は府内各地の探鳥会に参加していた。日本野鳥の会大阪支部の鉢ケ峰探鳥会は堺野鳥の会が担当していたので、記事で紹介されていた清水代表にはその頃出会った。会には入会しなかったが、堺野鳥の会が主催する他のフィールドの探鳥会にも誘われて、何度か顔を出していた。

 

狭山池では、清水さんが双眼鏡を覗くことなく飛んでいるカワラヒワや遙か彼方のミサゴを教えてくれた。何故わかるのか尋ねると、飛び方だけで何となく分かると。

大泉緑地では、会員のリーダーが茂みの中の小鳥を見て興奮しながら「あれ?、オジロビタキかな。オジロビタキや。」と。初心者の僕はしっかり見ることは出来なかったが、オジロビタキにはその後一度も出会っていない。

光明池の緑道では、一羽のシメが人目もはばからず至近距離で無心に食餌していた。皆でずっと観察していても飛び立たなかったので、リーダー(新聞記事で鳥の写真撮影者として名前が出ている。横島さん。)が「サービス満点のシメやなあ。」と。

 

いろんなシーンが蘇ってくる。

 

野鳥の会は、単にバードウォッチングを楽しむだけでなく、代表の清水さんをはじめ行政にも提言や協力をして積極的に地域の環境保全に関わっている志の高い会という印象が強い。

 

こうした目録を定期的に発行し続けることも、地域の自然の変化を記録し残していく志なくしてできることではない。目録は堺市の図書館や府の図書館にも寄贈していると記事にある。

 

探鳥会とはすっかり遠ざかってしまったが、今、一人でバードウォッチングを楽しめるのは初心者の頃に清水さんや横島さんはじめ会員の皆さんに教えていただいたおかげ。

 

感謝、である。