クロユリハゼの休日

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#184 日時計と〝太陽の道〟

二上山の雌岳山頂広場は奈良盆地側の展望がよい。二ヶ月半ぶりに登ってみたら、広場南側の樹木が剪定されて葛城・金剛の山並みも見通しよくなっていた。

この広場に大きな日時計がある。f:id:kuroyurihaze:20210612204925j:image

設置の謂れを書いた説明板があることに初めて気づいた。〝太陽の道〟に因んで、古代太陽信仰を思い起こすモニュメントとして日時計を設置したとある。

春分秋分の日、奈良の箸墓古墳から見て東の三輪山から日が登り、西の二上山鞍部に日が沈む。この北緯34度32分の線上に古代太陽信仰に纏わる神社や地名(日置、引野、比企、など)が並ぶことから〝太陽の道〟と呼ばれるようになった。箸墓周辺は古代大和王権につながる纒向遺跡があり、農耕と関わっているのでは、という説らしい。

そういえば、この〝太陽の道〟説を熱く語っていた方を思い出した。

堺市日置荘にあるお寺のお坊さん。父が53歳で亡くなって、この寺のにわか檀家となった我が家にお坊さんが月参りに来られていた。(今は、跡を継いだ息子さんが年一回、お盆の時期だけ来られる。)お経の後は雑談タイムで、ある時、この〝太陽の道〟のことを教えてくれたのだ。日置(ひき)も引野(ひきの)も〝太陽の道〟線上の地名だということを。

この説、当時〝NHKスペシャル〟で紹介されたので、ちょっとしたブームになっていたのだ。

そんなかんなで、

〝太陽の道〟ブームのおかげで二上山雌岳山頂広場に、相当の費用をつぎ込んだ日時計モニュメントが誕生したのだった。

太陽の道ブーム遺跡として後世にのこるとしたら…。(なぜか、イースター島のモアイ像のことを想ってしまった。)

 

今日の二上山、ササユリが見頃に。山頂直下はまだつぼみ。f:id:kuroyurihaze:20210612214333j:image
f:id:kuroyurihaze:20210612214338j:image
f:id:kuroyurihaze:20210612214330j:image4月のぎっくり腰以来、腰痛はしぶとく続いている。リハビリ登山のつもりが、また悪化しそう…。腰は身体の要、まだまだ養生は続く…。